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トマさん祈りの部屋
ブログ紹介
カトリックの司祭です。2001年から2005年までABCラジオ「信仰の時間」を担当していました。その後は長崎にある精道学園で教えていました。そこで話したものを中心に、ミサの説教や黙想会で話したことも交えて紹介していきます。現在は大分で活動しています。

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タイトル 日 時
聖性は「ハイと答える」素直な心
 幼き聖テレーズの7歳下に、同じくフランス人でカルメル会修道女の三位一体の聖エリザベットがいます。彼女は聖性の理想について問われて「愛によって生きること」と答えています。あなたなら、何と答えますか?聖ホセマリアは「日常生活と仕事を通して聖性を追求する」と教えていますが、その知識ではなく、あなたの聖性の生き様を問うています。自分の人生のモットー、あるいは座右の銘と言ってもいいかもしれません。 ...続きを見る

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2017/10/19 11:24
「聖体の生活」−キリストの土台の上に家を建てる−
 イエスは人生を「家を建てる」という例え話で説明します。誰もが立派な家を建てることが幸福だと勘違いしています。しかし、たとえ金銀の立派な家を建てても、砂地に立っていれば砂上の楼閣に過ぎません。一旦大雨が降って洪水になれば流されて、後には何も残りません。木材の質素な家でも頑丈な岩の上に建っていれば、流されずに家は残ります。大切なことは家の立派さではなく、何の上に建てているか、なのです。 ...続きを見る

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2017/10/07 09:25
「神の論理」と「人間の論理」
 福音書を読むと、ちょっと納得できないようなイエスの言動に出くわします。たとえば、朝早くから働いた人が、夕方から一時間だけ働いた人と同じ賃金だったので不満を漏らすと、イエスはその人を叱った(マタイ20. 1-20)。おもてなしに忙殺されたマルタが、手伝わない妹マリアに腹を立て、イエスに手伝うように頼んだら、逆にマルタが叱られた(ルカ10.40-)。放蕩息子の例え話では、父親は放蕩をして無一文になった息子を喜んで迎えるのに、父に忠実だったその兄に対して厳しい態度を取る(ルカ15.11-32)、など... ...続きを見る

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2017/09/29 16:12
「いい人」とは、「聖人」とは・・・?
 いつも笑顔の人は「優しい人」、相手に手を差し伸べる人は「親切な人」です。では「善い人」とは、どんな人だと思いますか?「善行をする人」と考えるかもしれませんね。古の聖人(聖アウグスティヌスだったかな?)は、「全てを善く行う人」と定義しています。親切などの善い行いだけでなく、「すべて」です。つまり、飲んだり食べたりすることも、「よく行う」のです。「善い飲み方、食べ方」とは、暴飲暴食の反対です。腹八分で抑え、好きなものを控えたり、嫌いなものもすすんで食べたりします。節制や慎み、犠牲の精神が生きている... ...続きを見る

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2017/09/21 14:47
「救い」は信仰から!
 苦しみや困難から救われたいと思う人は多いでしょうが、魂の救いを願う人は少ないかもしれません。キリスト教が「神の救い」という時、具体的には何を指しているのでしょうか?けっして現世的な解決や癒しではありません。第一は霊魂の救いです。つまり、原罪によって悪に染まった霊魂を清め、永遠の生命を受けて天国に入ることを意味しています。まず、この世で「救いの始まり」である洗礼で原罪から清められ、人生という「救いの道」で聖体やゆるしの秘跡で強められ、「救いの完成」すなわち天国に入ることです。 ...続きを見る

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2017/09/15 16:39
「交わり」の霊性
3. 三位一体の神に似ている人間 『神は人間を救うに当たって、一人ひとりを別々に救うこともお出来になったが、一つの「神の民」として集め教会を設立して、一つの家族として人類を救いに招かれました』(教会憲章9番参照)。なぜでしょうか?罪は個人的ですから、聖性も個人的です。だから、一人ひとり個別に救われるのが理に叶っていると考えても不思議ではありません。でも、神の考えは違いました。最初からそうでした。アダムという個人的な罪が全人類に及びました。そこにヒントが隠されています。 ...続きを見る

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2017/09/07 15:07
人と「結ばれ」神と「交わる」
1. 絆を切ることで神と対立する人間 「一人でいるのは良くない」。神がアダムに向かって言った言葉です。一人では幸せになれませんでした。そこで、神はアダムに見合うもう一人の人間エヴァを造りました。こうして、人は自分を与えても惜しくない愛に出会いました。二人は愛し合うことで、神への愛を生きることになりました。「二人で幸せになろう!」という思いが神の考えとピッタリ一致しました。そこから家族が生まれ、子孫が増えて人類になりました。夫婦から親子、兄弟が愛し合うことへ成長して、人類になりました。誰もが互い... ...続きを見る

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2017/09/01 09:26
キリスト者よ、大志を抱け!
明治時代、北海道開拓のために設立された札幌農学校で、指導に当たったクラーク博士が残した名言「少年よ、大志を抱け!Boys, be ambicious!」は、あまりにも有名です。「大志」とは、自分の出世や金持ちになる個人的な野心ではなく、日本の将来のために、人々の幸福のために自分の人生を賭ける高貴な志でしょう。野心ではなく大志を持てと、青年を鼓舞したのです。 ...続きを見る

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2017/07/19 13:24
信徒の「司祭職」
 「信徒は司祭ではなく、司祭は信徒ではない。だから矛盾だ!」と思う人も多いでしょう。それは「司祭=神父」という誤解があるからです。神父の司祭職は、イエスとなってミサを執り行い、イエスになって罪をゆるす秘跡を執行します。さらに、教会という「神の家」で信者の世話をします。これらは見に見えるので分かりやすいです。信徒の司祭職は、何をすることなのでしょうか?第二バチカン公会議では、これを「共通の祭司職」と呼んでいます。    まず、信徒が司祭であることについて説明しましょう。神父が叙階の秘跡で「イエ... ...続きを見る

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2017/07/14 22:37
福音を「聞く」と「読む」の違いは…?
 先日、大分教会で平山司教様の叙階60周年記念ミサが行われました。今年、93歳の誕生日を迎えられて、なお現役でローマにおいて仕事をされています。ミサの終わりに短い感謝の挨拶をされました。「イエスが私のために、十字架で命を捧げてくださいました。私が回心する前から、先取りして罪を許して下さいました。主よ、あなたが私を選んで下さったのです。それを思うと、涙が出そうになり、心から『ありがとう』と言いたくなります。」目新しいことは何一つ話されていませんが、聞く者の心に響く魂の言葉でした。 ...続きを見る

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2017/07/07 19:20
福音は「感染」する!
 教皇様への黙想指導で有名なカタラメッサ神父が、興味深い例え話をしています。「学者がウイルスについて熱心に調べても病気に感染しないが、患者に触れれば病気に感染する。キリスト教も同じこと。いくら知識を伝えても信仰は伝わらないが、本当に信仰を生きている人に触れれば、福音は伝わる。つまり『感染』するのだ」(サン・パウロ出版「司祭職」p.161参照)。 ...続きを見る

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2017/06/30 15:56
「神に栄光」って、何?
 鎌倉時代になると禅が盛んになり、道元が「自然のあらゆるものの中に仏が宿る」という教えを広げました。それが「山川草木悉皆成仏」です。イエス・キリストも同じことを説いています。「野の百合、空の鳥を見なさい。神の愛が注がれているでしょう」と。パウロは「すべての物の内に神はおられる」(エフェゾ4.6)と教えています。 ...続きを見る

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2017/06/23 09:12
神様を「食べる」宗教?
 神には手を合わせて拝むもの。これが世界共通の認識でしょう。「神を食べる」などと言えば不謹慎、非常識と笑われるか、神を冒涜すると非難されそうです。しかし、こんな常識を超えることを堂々と教えた方がいます。それがイエス・キリストです。「私の肉を食べ、血を飲まなければ永遠の命はない」「私は食べ物である」と大群衆に向かって説いたのです。 ...続きを見る

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2017/06/16 16:11
三位一体って、どういうこと?
 神は「父と子と聖霊」三つのペルソナ(顔)を持つが唯一の神である。これが三位一体の奥義です。そして神秘です。人間の理解を超えています。でも次の例えで少しだけ分かります。神は父の顔、子の顔、聖霊(愛)の顔を持っているのですが、それは一人の女性に例えられます。子にとっては母の顔、親に対しては娘(子)の顔、そして夫に対しては聖霊(愛)の顔をもっていますが、三人の女性ではなく一人の女性。これと同じです。 ...続きを見る

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2017/06/09 19:58
カトリックは「古くさい」のか?(2)
時代を切り開いたキリスト教的な「人権」は姿を消し、個人主義的「人権」が幅を利かせています。これでは本来の目指していた社会を実現出来ません。人権を標榜する政治を「リベラル派」と言いますが、世界を牽引したイギリス、アメリカでリベラルな政治に国民の「No!」が突き付けられました。時代の流れが大きく変わろうとしています。平等を目指しながら、実際は経済的な格差が進みました。それは偶然ではありません。 ...続きを見る

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2017/06/02 14:59
カトリックは「古くさい」のか?
歴史の授業でカトリックを「旧教」、プロテスタントを「新教」と習ったのを覚えています。カトリックは古くさいという印象を与えます。さらに、「離婚が出来ない」とか、「堕胎を認めない」という教えが拍車をかけています。本当にカトリックの教えは時代遅れで、役に立たないのでしょうか?確かに技術は進歩しますが、人間の本質はいつの時代も変わりません。真理は不変です。真理は古くならないし、いつの時代でも私たちを正しく導いてくれます。 ...続きを見る

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2017/05/27 16:15
二つの自由、二つの信仰
 人間は善と悪、どちらでも選択できる自由が与えられています。だからこそ、善を選べば徳となり、悪を選べば罪になるのです。このように人間の行いには責任が伴っています。これがキリスト教的な自由の考え方です。ところが近年、まったく対極にある考え方が現れました。公権力の介入を最小限にして個人の権利を最大化する自由、つまり個人の欲望を実現する自由です。これを「個人主義的」自由と言います。 ...続きを見る

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2017/05/19 19:53
「謝りなさい」と「ゆるしてあげなさい」の違いは?
 砂場で遊んでいた子どもがケンカを始めました。一人がお友だちのおもちゃを勝手に横取りしたのです。取られた子は泣き出してしまいました。側で見ていた母親が「返して、謝りなさい!」と強く言い聞かせました。すると、もう一人の母親が我が子に「ゆるしてあげなさい。そして、貸してあげなさい!」となだめて言い聞かせました。どちらも具体的な状況でしつけをしていますが、その意味合いには違いがあります。親は、その違いを意識して指導する必要があります。 ...続きを見る

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2017/05/13 11:24
復活のBefore & After
 長い四旬節が終わり、喜びの復活節を迎えました。そして、犠牲や十字架のことも忘れてしまい、まるで何もなかったみたいです。確かに苦しみは喜びに変わりました。しかし、復活と十字架は切り離せません。その証拠に、復活したイエスの体に十字架の傷跡が残されていました。十字架を忘れることは、復活が訪れないことです。復活を祝うとは、十字架を心に刻むことです。「苦しみの十字架」が、「恵みの十字架」に変わることが復活の意味だからです。 ...続きを見る

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2017/05/08 11:23
「見ないで」信じる者になりなさい!
ある小学生が詩を書きました。『もし、ぼくが神様だったら…いじめられている子がいたら守ってあげる。困っている人がいたら助ける。手足が不自由な人がいたら動くようにしてあげる。目の見えない人がいたら見えるようにする。病気の人がいたら治してあげる。貧乏な人がいたら、お金持ちにして、みんなをしあわせにする。でも、不幸な人がいっぱいいる。それは、神様がいないからです。』 ...続きを見る

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2017/04/30 15:38
「復活」を生きる
「四旬節を生きる」なら、誰でも分かると思います。いつもより華やかなことは控えめに、犠牲を増やす、など。一昔前は「歌を口ずさまない」「口笛を吹かない」とも言われていました。先月、四旬節の黙想指導をしましたが、その後で「花見をする」という提案がありましたが、四旬節にふさわしくない、ということで却下されていました。では「復活を生きる」と聞いて、どれほどの人が具体的に答えられるでしょうか?こちらこそが大切なのに、忘れ去られているように感じます。 ...続きを見る

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2017/04/25 19:32
マグダラのマリアの信仰宣言
マグダラのマリアは使徒に「主の復活」を伝えました。最初に福音を伝えたので、「使徒たちの使徒」と呼ばれて、当時から尊敬されていました。なぜ、こんな大切な役目を受け取ったのでしょうか?これは偶然ではありません。使徒たちが逃げ去った時、イエスが取り残されて一人ぼっちだった時、側にいたのは誰ですか?ローマの番兵が見張っている墓に、お参りに行ったのは誰ですか?マグダラのマリアです。さらに彼女は、大胆な発言をしました。 ...続きを見る

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2017/04/20 11:25
「古い私」から「新しい私」へ過ぎ越す
今日で四旬節が終わります。四旬節は、イエスが宣教活動に先立って40日間、荒野で祈りと断食に専念して準備をしたことに基づいています。「40」という数字は聖書では意味があります。ノアの洪水では40日雨が降り続き大洪水になりました。40日を経て、神に従わなかった人々は滅び、神に従ったノアの家族だけが生き残り、新しい世界を築きました。モーゼはヘブライの民をエジプトの奴隷から解放して、40年間も荒野を旅して新しい約束の地に入りました。イエスは死から復活して40日間、使徒に現れ励まし力づけ準備を整えて天に昇... ...続きを見る

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2017/04/15 13:48
「Do」から「Be」の信仰へ
洗礼を受けてキリスト信者になったら、人生は如何に変わるのでしょうか?「何をするか?(do)」と、「どのような人間になるか?(be)」の二つの面から考えてみましょう。信者になったら「する」ことは…?「ミサに行く。祈りをする。慈善の業をする(愛徳)。福音を人々に伝える」などがあります。祈りを形式から見ると、「ロザリオを唱える。十字架の道行をする。黙想する。食前、食後に祈る」など。内容から見ると、「病人のため、平和のため、災害で苦しむ人のため、教皇様のため、教会のため」などがあります。「慈善の業」は、... ...続きを見る

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2017/04/09 17:09
人としての成長が信仰を育てる
カトリック教会から離れた人の話を聞く機会がありました。「どうして教会から心が遠のいたのですか?」と率直に尋ねました。「教会は変な人が多くて、共感できなかったから」という返事でした。どこが変でしたか?と重ねて問うと、たとえば・・・と教えてくれました。「十字架の道行」を教会で熱心に唱えるのに、家に帰れば、自分が犠牲になることを避けて逃げ回ったり、人に押し付けたりする人が多いというのです。 ...続きを見る

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2017/04/03 19:04
永遠のいのちの種
もうすぐ知り合いの大学生が洗礼を受けます。準備の勉強を一緒にしていますが、イエスが話した「種まき」の例え話を使って洗礼の意味を説明しました。「農夫が種まきに出かけました。最初の種は、道端に落ちて鳥に食べられてしまいました。次は、石地に落ちたので芽が出たけれど枯れてしまいました。その次は、茨の中に落ちて茨に邪魔されて成長が止まってしまいました。最後の種は、良い土に落ちて大きく成長し豊かに実を結びました」(マタイ13章、マルコ4章参照)。 ...続きを見る

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2017/03/31 19:30
野に咲く百合、空を飛ぶ鳥のように
全ての人は神に呼ばれています。花も鳥も神様から役割を受けて、それを無言で果たしています。草花は、時が来れば美しい花を咲かせます。鳥は、幸せそうに空を飛び、さえずります。魚は水の中を元気いっぱいに泳いでいます。人間はそれ以上であると、イエスは教えています。人間は本来的には、花より美しく、鳥よりも幸せになる、魚よりも躍動的な生き物です。ところが、それ以下の人生を送っている人もいます。花ほどに美しくなく、鳥ほどにも幸せでない生き方です。 ...続きを見る

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2017/03/25 11:15
誘惑(試練)は救いの道
若いモデルがパリコレのスーパーモデルに抜擢され、デビューが近づき心躍らせていました。そんな矢先、医者からガンを告知されました。治療に専念し、抗がん剤の副作用でモデルの仕事も辞めざるを得なくなりました。その後の彼女は、どうなったのでしょうか?彼女の言葉です。「今では、神に感謝しています。もし、あのままデビューしていたら、私は美しい人、偉い人、立派な人間だと勘違いして、きっと人生を過っていたと思います。ガンになったおかげで人生を見つめ直すことができました。」 ...続きを見る

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2017/03/18 13:04
試練(誘惑)と祈り
Q. 私は長年、神様のために一生懸命働いてきたのに、どうして病気になったのですか?いい加減な信仰のAさんは元気でピンピンしているのに…神様は不公平です!神父様、どう思いますか?私は、もうミサにも行きたくない、教会の仕事も一切引き受けません。いいでしょう? ...続きを見る

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2017/03/11 10:53
私は弟の番人でしょうか?-いつくしみを生きる-
アダムの子カインは弟のアベルを殺してしまいました。嫉妬が原因でした。アベルの供え物は神に喜ばれたのに、自分の供え物は喜ばれなかったからです。相応しい捧げ物でなかったからですが、それを弟のせいだと考えました。弟さえいなければ、自分は神に大切にされると勘違いしました。嫉妬に憎しみが重なり、殺したのです。神はカインの改心を促すために、探し出して質問しました。「弟は何処にいるのか?」それに対して「どうして私が知っているのでしょうか?私は弟の番人なのでしょうか」と答えたのです。 ...続きを見る

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2017/03/04 11:59
ただ神の義を求めよ!(マタイ6.33)
「神の義」とは、何でしょうか?この世の心配事と対比される形で示されています。イエスは、他の箇所でも違った表現で同じことを教えています。たとえば、マルタに対して、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことは、ただ一つだけである」(ルカ10.41-)と諭しています。また、荒野の断食で誘惑を受けた時、「人はパンだけで生きるのではない。神の言葉によって生きる」(マタイ4.4)と答えています。山上の垂訓では「義に飢え渇く人は幸いである。その人は満たされる」(マタイ5... ...続きを見る

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2017/02/26 22:37
人生地図「わたしが道である」
人間の生命は何処から来るのでしょうか?その根源をたどれば神秘に至ります。いのち神秘、それは神から始まるのです。そしてこの世に生まれ、人生がスタートします。上り坂に下り坂、細道に凸凹道、曲がりくねった道にまっすぐ平らな道、様々な人生があります。人生の最後はどうなりますか?死んで神のところへ帰って行くのです。天国は人間の完成です。この世で練られて成長して、神がゴールです。 ...続きを見る

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2017/02/22 11:29
エデンの園と善悪の木
世界的IT企業「アップル」のロゴマークをご存じでしょう。「齧りかけたリンゴ」です。アダムとエバが、神の言いつけに背いて「木の実」を取って食べた話を連想させます。「リンゴを食べた」と勘違いしている人も多いのではないでしょうか?食べたのは「善悪の木の実」です。エデンの園の中央には別の木がもう一本ありました。「いのちの木」です。善悪も命も物質ではありません。心や霊に関わるものですね。「木の実」や「食べる」は比喩的な表現で、人間の真実を物語の形式で説明しているのです。 ...続きを見る

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2017/02/15 17:23
主に交われば・・・
「朱に交われば赤くなる」という諺があります。親しく付き合って時間が経つと、友達や夫婦、親子など、互いが似てくるという意味です。それでは、キリスト信者はイエス・キリストと長く付き合うと、どうなるのでしょうか?ただ一緒にいるだけでは似た者にはなりません。「交わる」ことが欠かせません。イエスと交われば、どうなるか?と言い換えると、さらに正確な言い方になります。 ...続きを見る

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2017/02/09 11:52
山上の説教「幸せの道」
イエスの「山上の説教」(真福八端とも言う)は有名です。特に最初の「心の貧しい人は幸いである」は広く知られています。しかし、その意味していることは案外知られていません。キリスト信者でも誤解していることがあります。結びに「天には大きな報いがある」との言葉があるので、勘違いしやすいのです。「この世は苦しいことが多いが、天国で報われるから、辛抱して、我慢しなさい」という解釈が、その代表です。イエスの真意は何だったのでしょうか? ...続きを見る

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2017/02/03 18:25
愛を諦めない!
今、世界が不安定になり、人々の不満や不信感や憎しみが大きくなり、対立、分断が広がっています。理由は、戦争難民や経済格差、社会的不公平など深刻な問題ばかりです。これらは現代社会に突き付けられた課題です。私たちは、この課題をどのように克服しようとしているのでしょうか?これらは政治問題であり、経済問題ですから、宗教は関係ないように思われます。しかし、世界を動かし、変えていくのは、いつでも一人一人の生き方や考え方の総体です。その意味で、けっして他人事ではありません。私たちの生き様が問われているのです。 ... ...続きを見る

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2017/01/29 19:52
神の国は近づいた!
イエスが宣教を始めたとき、最初に述べた言葉は「悔い改めよ。天の国は近づいた」でした。あれから2000年の時が流れました。神の国は、いつ来たのでしょうか?イエス自身が神の国をかたどっているので「近づいた」と言えるのですが、それが私たちに与えられるのは、十字架の贖いの時です。つまり、イエスが苦しみと死を天の父に捧げることで、私たちの罪が赦され、神と和解します。三日後の復活で死から解放され、私たちのために神の国が完成しました。そして聖霊が降ったとき、この世に、信者の心に、神の国が来たのです。 ...続きを見る

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2017/01/24 18:25
ミサを生きる
「信仰生活の中心は何ですか?」この問いかけに、伝統的な信者なら「日曜日にミサに行くこと」と答えるでしょう。模範的な回答です。しかし、同時に誤解を招きやすい答えでもあります。日曜日にミサに行けば、月曜日から土曜日まで神を忘れて生活していても大丈夫だと、勘違いする人が出てきます。それでは、信仰を深めていくことなど出来ないですね。本当は、信仰生活の根本と中心に何があるのでしょうか? ...続きを見る

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2017/01/19 11:33
不完全な人間!不完全な幸せ?
人間は一人で生きていけない弱く惨めな存在なのに、対立して憎んで、争いあって生きていたり、他者に無関心になり自分のことだけ考えてバラバラに生きていたりいます。人間は、このように不完全で不安定です。そんな人間が本当に幸せになれるものでしょうか?ささやかな夢や願いを叶える喜びを幸せというなら、確かに人生には小さな幸せがいくつもあるでしょう。しかし、そんな正当な幸せさえも、時には暴力や妨害、無関心によって脆く壊されてしまいます。こんな人生で我慢するしかないのでしょうか? ...続きを見る

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2017/01/10 20:15
神の家族
教会は「神の家族」と言われます。神が集めた人々で成り立つからです。集まった人々は、私たち自身ですから、「人間の家族」でもあります。通常の家族との違いは、血縁によるのではなく、信仰による点だけです。家族は、両親から子どもが生まれて成立しますが、教会という「神の家族」は、洗礼によって子どもが生まれます。イエスを救い主と信じる者が家族の一員になるのです。だから、洗礼とは個人的な生き方の選択ではなく、神の家族とつながることです。 ...続きを見る

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2017/01/02 10:34
あけまして、おめでとうございます(^-^)
酉の声 目覚めて祈る 初日の出 (さ) 東雲を 押しのけて来る 初日の出 (さ) ...続きを見る

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2017/01/01 22:56
礼拝だけでは救われない!
アブラハムもモーゼも犠牲を供えて神に礼拝を捧げました。しかし、罪が清められることはなく、救いも実現しませんでした。人間の礼拝とは、せいぜいこの程度のものでしかありません。ところが、私たちは彼らに勝るものではありませんが、罪が赦され、永遠の命に救われます。なぜですか?それは、神であり人でもあるイエス・キリストが神に礼拝を捧げるからです。私たちの礼拝が、罪の赦しや救いにつながるのは、イエスの礼拝に参加するからです。 ...続きを見る

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2016/12/30 16:26
幼子イエスを抱きしめる
イエスが語った放蕩息子の例え話では、回心した息子が父の家に帰ってくると、父の方から走って出迎えて、その子をしっかりと胸に抱いて抱擁しました。あの息子が私たちであり、迎える父は天国の神です。私たちは天国に迎えられ、父の胸に抱かれるのです。そのために、この世で何をしなければなりませんか?今、何をすべきでしょうか? ...続きを見る

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2016/12/22 14:22
なぜ、神は人となったのか?
それは・・・「人間と結婚するためです」。いきなり言われると、唐突すぎて胡散臭く思う方も多いと思います。しかし、これは聖書に書かれている事実です。前回も触れたように、神は人間から愛されることを心から望んでいました。でも、それだけではありません。その愛は、ただの愛ではなく究極の愛でした。人間に例えれば、ただの友達では満足しない、恋人同士でも満足しない愛です。結婚によってしか満たされない最高の愛でした。 ...続きを見る

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2016/12/15 21:50
神様が唯一持っていないものは何か?
クリスマスは降誕節とも言います。そして「イエスの誕生」を準備する期間、それが待降節です。どうやって準備するのでしょうか?クリスマスには、子どもたちはサンタクロースからプレゼントを貰います。でも、お祝いの主人公はイエスですから、イエスにプレゼントをするべきですね。そこで子どもたちには「イエス様にプレゼントをしましょう」と勧めていました。子どもは素直ですから、「兄弟喧嘩をしない」とか「お小遣いから寄付をする」とか「お手伝いをがんばる」などと、決心を紙に書いて馬小屋に捧げて、クリスマスまで頑張っていま... ...続きを見る

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2016/12/13 09:18
「正しい」だけでは救われない!
自分が正しいと思う人は、人が間違っていると考えます。その判断は間違っていないかもしれません。しかし、「だから私が救われて、あの人は救われない」と考えるなら、間違っています。なぜなら、人間は「正しいから救われる」のではないからです。「正しさ」を言うなら、人間は最初に神に反抗して罪を犯し、神の正義によって罰せられた存在です。神の「正しさ」故に神から離れてしまったのです。だから、正しさだけを振り回すなら、その人は救われないのです。救いは何処から来るのでしょうか? ...続きを見る

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2016/12/09 15:50
骸骨を好きになれますか?
カトリック信仰の柱はミサです。その他にも、ゆるしの秘跡、聖書や霊的読書、ロザリオ、良心の糾明などがあります。これらは信仰生活を形作る骨格にあたります。大切であることは言うまでもありません。しかし、これを強調しすぎると、これだけをしていれば大丈夫という錯覚に陥ります。体に例えるなら骨ばかりで肉体がありません。そんな骸骨(がいこつ)を好きになれますか?家に例えるなら、柱ばかりで壁も天井もありません。そんな家に住みたいと思いますか?こたえは「ノー!」ですね。信仰生活は、もっと魅力的なものです。骨格に肉... ...続きを見る

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2016/12/06 19:08
祈りながらコーヒー飲んでもいいですか?
祈りながら飲食したりするのは不謹慎ですから、しない方がいいですね。いや、すべきではありません。では、「コーヒーを飲みながら祈ってもいいですか?」これはOKです。それどころか、率先して実践すべきです。この違いは何でしょうか?そもそも「祈りの時」とは、心に神をお迎えして、神とだけ語り合う時間のことです。たとえば、ミサ、黙想、良心の糾明、夕の祈り、ロザリオなどです。お客様をお迎えしているのに、相手を差し置いて勝手に飲食するのは失礼ですね。神に対しても同じことです。神に専念することが礼儀であり、神の愛に... ...続きを見る

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2016/12/01 13:54
人間の罪と罰(3)
誰もが幸せを望んでいますが、人生には苦しみが多くあり、幸せは儚(はかな)い夢に終わります。それでも人間は幸せに憧れます。私たちは本当の幸せにたどり着けるのでしょうか?そもそも人間は幸せになるために生まれてきました。その幸せは罪と対局にあります。罪が幸せを妨げているのです。本当の幸せは、人を自分のように愛し、神を自分以上に愛することから生まれる心の状態です。それが人間として完成されるということです。欲望実現の満足は幸せではありません。それは罪の楽しみに過ぎません。それは過ぎ去り、虚しさが残るだけで... ...続きを見る

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2016/11/29 19:46
人間の罪と罰(2)
ドストエフスキーの作品に「罪と罰」がありますが、アダムとエバの原罪と罰が下敷きになっています。罪とは、罰とは何でしょうか?人間には生きる道が定められています。「親を敬え、人を殺すな、盗むな、嘘をつくな」などです。この人の道から逸れることが罪です。この罪は心を汚し傷つけます。そこから苦しみが生まれます。これが罰です。ある聖人は、罪を肉体に刺さった矢に例えています。罪の赦しとは矢を抜くことです。そして罰とは、矢を抜いてもそこに残る傷と痛み(苦しみ)なのです。最初の人間は、癒えることのない罪を犯してし... ...続きを見る

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2016/11/12 10:50

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