トマさん祈りの部屋

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zoom RSS すぐ隣にいる聖人

<<   作成日時 : 2018/04/30 19:38   >>

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全ての人は、神に愛され、神に望まれて命を頂きました。みんな母親から生まれてきましたが、いのちを創造したのは神ご自身です。親が生まれてくる子に夢を託すように、神は一人ひとりに願いを込めて生命の息吹を注ぎました。この「神の個別の願いに応えること」が召し出しです。一人残らず、例外なしに神に呼ばれています。その神の望みの中身を、人との出会いや出来事を通して少しずつ発見して、自分の歩むべき道に出会います。

司祭やシスターになることだけが召し出しではありません。結婚することも召し出し、社会人になって仕事をすることも召し出しです。だから、通常の生活から離れて多くの時間を祈りに当てることだけが聖人の道ではありません。召し出しに応えることが聖人になる道です。どこにいても、何をしていても、あらゆる行いを通して、人生を愛の内に生きることで聖人になるように召されているのです。教皇フランススコは、それを『すぐ隣にいる聖人』と名付けました。

たとえば、「自分を喜んで犠牲にして、たっぷりの愛情を注いで子育てをする両親。家族を支えるために自分を忘れて働く人々、病気で苦しみながらも笑顔を忘れない人、高齢になっても謙虚で微笑みを絶やさない老人」は、見事に自分の召し出しの聖性を生きているのです。ただの老人、病人、親だけなら聖人になれませんが、神がお望みのように老後を生き、病気を受け止め、子を育てるなら、それ自体に聖性があり、祈りになるのです。だから聖人になるのです。聖ホセマリアは「以前はジャガイモの皮を剥くだけだったが、今は違う。皮を剥きながら聖人になる」と書いています。

同じ事をしていても、どうして結果は違うのでしょうか?その秘訣はイエス自身が語っています。「目の前の人にとって隣人になりなさい」ということです。自分の為にした仕事は、たとえ立派でも祈りになりません。隣人として、友として捧げた仕事は祈りになります。それは召し出しに応えているからです。隣人と他人を区別して生きるなら自分中心の人生です。全ての人に対して自分が隣人になるなら、その人は聖人になります。「隣人は聖人」だったのです。■
*2018/04/29 復活第5主日の説教(長崎精道、三原アカデミー)
(GWは長崎に来ています。)

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