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トマさん祈りの部屋
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カトリックの司祭です。2001年から2005年までABCラジオ「信仰の時間」を担当していました。その後は長崎にある精道学園で教えていました。そこで話したものを中心に、ミサの説教や黙想会で話したことも交えて紹介していきます。現在は大分で活動しています。

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タイトル 日 時
天草・崎津教会巡礼の旅「イエスの心を奪った人たち」
天草・崎津教会巡礼の旅「イエスの心を奪った人たち」 生命を懸けて信仰を守り通した殉教者は、「信仰の英雄」として人々からも称賛され、後世になっても尊敬を集めてきました。その陰に隠れて、「踏絵」を踏んで「転んだ」キリシタンも多くいました。彼らはイエス・キリストを「捨てた」という良心の呵責と、仲間を裏切ったという「後ろめたさ」を背負って生きました。それは、天国の栄光を受けた殉教者と正反対の人生でした。これまで教会の歴史では、彼らに光が当てられることはありませんでした。しかし彼らがいたからこそ、250年の迫害の年月を越えて信仰が伝えられたのです。 ... ...続きを見る

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2018/11/14 13:31
「正しい人」が救われるのではない!
「正しい人」が救われると考えられているかもしれませんが、イエスは「神のみ前に『正しい人』は誰もいない」と話されました。また、自分は「正しい人」だと考えて、「自分には罪が無い」という人は偽り者であって、その人は永遠の生命を受け継ぐことが出来ない、とも教えています。だから「正しい人」が救われるとは言えないのです。では、いったい誰が救われるのでしょうか? ...続きを見る

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2018/11/07 14:58
還暦と悪霊
還暦と悪霊 日本の伝統で、還暦祝いに赤い「ちゃんちゃんこ」を着るという習慣があります。日本では、昔から朱色は悪霊を追い払う力があると信じられてきました。伏見稲荷神社の鳥居が朱色に塗られるのも同じです。今では迷信と思われていますが、悪霊は今も働いています。教皇フランシスコは、「私たちを神から引き離し、仲違いさせようと常に試みている悪魔からの保護を願って「大天使聖ミカエルへの祈り」と「聖母マリアの終業の祈り」を唱えるように、全信者にお願いされました。 ...続きを見る

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2018/10/31 16:44
「完全な者になりなさい!」
 前回と正反対みたいですが、これもイエスの言葉です。「天の父が完全であるように、あなた方も完全な者になりなさい」(マタイ5.48)。ルカは「完全な者」の代りに「慈悲深い者」(6.36)、ぺトロは「聖なる者」(手紙@1.16)と伝えています。「完全な者、慈悲深い者、聖なる者」いずれも難しそうです。いや、自分には不可能に思えてきます。この言葉の真意は、どこにあるのでしょうか?一緒に考えて行きましょう。 ...続きを見る

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2018/10/26 20:41
「子どものようにならなければ…」
「心を入れ替えて子供のようになる」、また「自分を低くして子供のようになる」人が、天の国に入り、天の国で一番えらいのである、とイエスは教えています。「子供のようになる」とは、具体的に何を指すのでしょうか?さらに、どのようにすれば子供のようになれるのでしょうか?ただ漠然と、子どものような天真爛漫で純粋で素直な心になることだ、と受け止められることが多いのではないでしょうか? ...続きを見る

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2018/10/19 16:20
『いったい誰が救われるのですか?』(マルコ10章17-27)
金持ちの若者がイエスに近づいて尋ねました。「永遠の生命を受けるために何をすればいいでしょうか?」彼は日頃から幸せを求めて努力していました。その結果、財を築きました。さらに死んでからも幸福であるために、救われるために何をしたらいいか、知りたいと願っていました。そんな良い機会が巡ってきました。几帳面で努力家の彼はチャンスを逃しません。彼の性格、生き方がよく表れています。そんな彼ならきっと救われると、当時の人々も考えたことでしょう。しかし、イエスの返答は違いました。 ...続きを見る

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2018/10/12 13:45
「キリスト信者」から「キリスト者」」へ
教会文書の文言が「キリスト信者」から「キリスト者」へ変わったことに気づかれましたか?どちらも同じ意味ですが、感じ方や受け止め方が微妙に違います。「〇〇信者」と言えば、仏教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒などではなく、「キリスト信者」ですという意味になります。つまり、ある宗教組織に属している外的な身分を表しています。一方「キリスト者」と言えば、イエス・キリストに従う人、その生き方を模倣して「もう一人のキリスト」を目指している人を連想させます。身分だけではなく、それに見合った心や内的状態を指しています。... ...続きを見る

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2018/10/05 15:04
神は「与えて」から「求める」
目が見えない人を見て、使徒たちはイエスに尋ねています。「盲目なのは、この人のせいですか?それとも先祖の罪のせいですか?」これは、日本でもよく見られる「因果応報」の考え方です。良いことがあれば善行の報いと考え、悪いことが起これば罰だと考えるのです。ある少年が病気で目が見えなくなりましたが、本人は「ポルノ雑誌を見たせいだ」と親に言ったそうです。人間、誰しも似たようなことを考えるものですね。 ...続きを見る

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2018/09/28 15:44
聖性−牛乳屋フアンの場合−
牛乳屋フアンは、毎朝早起きして、大きなミルク缶を荷車に積んで、村の家々を回って配達していました。天主堂の前を通りかかると、荷車を止めて、中に入って祭壇の方に向かってひざまずき、挨拶するのが常でした。「イエス様、おはようございます。牛乳屋のフアンです。」それだけ言うと十字架のイエスを後にして、また荷車を引くのでした。 ...続きを見る

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2018/09/21 15:26
人間関係の中にある聖性
フランシスコ教皇が『神の民への書簡』と題して、全世界の信者に向かって手紙を書かれました。その中で、永年にわたって教会の中で犯されてきた聖職者による性的虐待について、祈りと断食を捧げ、個人と共同体としての悔い改めと回心をするように訴えています。カトリック中央協議会HPやカトリック新聞に掲載されていますから、是非、ご覧になってください。 ...続きを見る

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2018/09/14 16:29
岩の上に建てた信仰
『砂上の楼閣』(さじょうのろうかく)という言葉があります。辞書によれば「見かけは立派だけれど、基礎がしっかりしていないため、結果を出せないこと」。転じて「実現不可能な計画」とある。2000年前にイエス・キリストが同じ事を言っています。「砂の上に建てた家は、雨風が吹けば倒れてしまうが、岩の上に建てた家は、雨が降っても風が吹いても倒れない」。これは信仰のことを例え話で教えています。「砂の上」とは、そして「岩の上」とは、何を指しているのでしょうか? ...続きを見る

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2018/09/07 16:22
ただいま
長い休暇を終えて、大分に帰ってきました。その間、遊んでいたわけでなく、若い人たちを指導したり、ヨハネの福音を解説したりと、研修の日々を過ごしておりました。もちろん、テニスもいっぱいして、しっかり日焼けしてきました。3週間、京都で過ごしましたが、40度を超す猛暑で、命の危険を感じるほどでした。朝方でも部屋の気温が30度を越えて、寝苦しい夜が続き、少し夏バテしました。その後、奥芦屋の山の家で3週間の研修でした。海抜565mで、気温が5度ほど低くなるので、快適な日々で、夏バテも解消しました。このように... ...続きを見る

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2018/09/07 16:19
夏休み
京都に来て仕事をしています。約20年ぶりです。懐かしいですね!3週間、滞在したら、次は奥芦屋で3週間、夏の研修です。ということで「トマ部屋さん」は9月に入ってから再開します。みなさん、夏バテしないように気を付けてお過ごしください。この夏は熱波が列島を襲いそうですよ! ...続きを見る

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2018/07/21 10:41
「自分らしさ」とは神が描くキャラクター
一昔前、「自分探し」が流行りました。今も「本当の自分とは何か?」を探して、人生に不安を感じている人は多いと思います。「何をしていいのか、分からない」「何をしても、幸せを感じない」「人に合わせることに精一杯で、自分がいない感じ」などです。「自分らしさ」を、「人と違うこと」と考えると、大多数は、人と似たり寄ったりの人生を歩むことになりますから、「自分らしくない」という結論になってしまいます。本当の「自分らしさ」は、どこにあるのでしょうか? ...続きを見る

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2018/07/14 10:46
庶民の聖性
私たちが知っている聖人は、救霊と宣教と慈しみの大事業を成し遂げた立派な方々ばかりです。最近では、カルカッタの聖女マザー・テレサや聖ヨハネ・パウロ2世教皇などが有名です。だから、聖人になるために、このような抜きん出た活動を真似ようと考えます。ところが立場の違う人が同様の事をすると、かえって聖性を損なうことになります。「各自、自分の道において」と第二バチカン公会議は述べています。「私たちは、達成不可能に見える聖性の模範を前にして、失望落胆してはなりません。それをまねることを意味しません。なぜなら、そ... ...続きを見る

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2018/07/07 14:54
ペトロの改心−聖性の出発点−
聖ホセマリアはルカ5章「大漁の奇跡」の場面を何度も黙想していました。それが聖性を目指す出発点になるからです。あの時、ペトロはイエスに選ばれて、既に宣教活動に協力していましたが、本当の意味でイエスに神の姿を見ていたわけではありません。また、活躍したいという人間的な野心も同時に持っていたと思われます。ところが、あの大漁の奇跡を前にして、イエスの聖なる部分に初めて触れて、自分がふさわしくないと痛感したのです。そこから彼の聖性追求が始まりました。それは、イエスの言葉に徹底的に従うことでした。 ...続きを見る

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2018/07/01 16:47
聖ホセマリア「日常生活の聖人」
オプス・デイ創立者、聖ホセマリアは1975年6月26日にローマで帰天。2002年10月6日、聖ヨハネ・パウロ2世教皇により列聖されました。そして、命日の6月26日が典礼上の記念日に定められ、すべての信者のために模範として高く掲げられました。それ以来、世界中で記念ミサが捧げられています。そして大分では、6月23日(土曜日)、大分教会で濱口司教様の司式で聖ホセマリア・エスクリバー記念ミサが捧げられました。そのときの説教を抜粋して紹介します。 ...続きを見る

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2018/06/25 14:23
イエスの「追っかけ」−聖性と自由−
歌手や俳優を追いかけて活動に参加する熱心なファンがいて、「追っかけ」と呼ばれています。キリスト教の始まりは、これに似ていました。たくさんの人がイエスの後を追いかけて行きました。イエスによって病気が癒されたり、死者が甦ったり、心が洗われる説教をしたり、ある時は大勢のためにパンを増やす奇跡がありしました。ある者はパンに惹かれて追っかけましたが、ある者は魂の救いを求めてイエスに従いました。心の底からイエスを「追いかけて」いたのです。 ...続きを見る

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2018/06/17 17:02
「・・・」(沈黙)
遠藤周作の小説『沈黙』が、巨匠スコセッシ監督によって『サイレンス』というハリウッド映画になり、世界的に話題になりました。どうしてこの世に悪が存在するのか?悲しみや苦しみを前にして、なぜ神は沈黙するのか?古くからある「悪の神秘」と言われる問題です。誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか?本当に神は沈黙しているのでしょうか?沈黙しているなら、その意味は何でしょうか? ...続きを見る

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2018/06/09 14:43
ほんとうの聖体拝領
「聖体拝領」と訳されている元の言葉はラテン語で「comunionコムニオン」ですが、「交わり」という意味です。最近では「交わりの儀」という訳も見られます。「拝領」と訳すと、イエスが私の中に来られるという意味になりますが、これでは一方通行です。本来の「交わり」という双方向の意味が抜け落ちてしまいます。もう一つの意味、つまり「私がイエスの中に入る」という事実も表したいのです。聖体を受けるとうことは、単なる受動的な行為ではなく、私自身を与えてイエスの中に入り込んで一つになる能動的な行為でもあります。 ... ...続きを見る

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2018/06/05 08:39
自由は愛するためにある(2)
3.不自由な人間 人や世界が自分の思い通りにならないのは当たり前ですが、それだけではありません。自分の心さえも自由に出来ないのです。聖パウロはローマの教会への手紙に次のように書いています。 「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。善をなそうという意志はありますが、それを実行できません。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っています。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。... ...続きを見る

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2018/05/28 19:10
自由は愛するためにある (1)
1.決断するということ。何かを決断すれば、それに伴って義務が生じます。就職や結婚が分かりやすい例です。義務が増えた分だけ、自分が好きに出来る時間やお金が少なくなります。それだけ不自由になったと感じることがあります。場合によっては後悔して、離婚したり仕事を辞めたりします。常に自分のためにフリーハンドを確保しておかなければ安心できないみたいです。はたして、このような生き方が自由なのでしょうか? ...続きを見る

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2018/05/21 11:37
「祈り」とは何ですか?
「祈り方を知りません。教えてください」と頼まれることがあります。それは、祈りの言葉や所作を知りたいということでしょう。それは確かに祈りの一つですが、全てではありません。そもそも「祈り」とは何でしょうか?それは「神を思う心」です。その心から言葉や行為が生まれます。決まった形もあれば、自分の心のままに語り、行うことも出来ます。そこで、「祈り」について考えてみましょう。 ...続きを見る

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2018/05/14 09:28
「神の母」と「神の子」の召命
聖母マリアは、大天使の「お告げ」によって新しい人生に召されました。それは「神の母になる」と言う想像をはるかに超えるものでした。マリアは、おそれ躊躇いながらも、神に信頼して身を任せました。いや、ただの受身ではなく、もっと積極的な姿勢で重い責任を引き受けたのです。それが「神のお望みが私において実現しますように」の言葉に映し出されています。こうして「神の母になる」という固有の使命を受けました。それを「召し出し」と言います。 ...続きを見る

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2018/05/07 14:44
すぐ隣にいる聖人
全ての人は、神に愛され、神に望まれて命を頂きました。みんな母親から生まれてきましたが、いのちを創造したのは神ご自身です。親が生まれてくる子に夢を託すように、神は一人ひとりに願いを込めて生命の息吹を注ぎました。この「神の個別の願いに応えること」が召し出しです。一人残らず、例外なしに神に呼ばれています。その神の望みの中身を、人との出会いや出来事を通して少しずつ発見して、自分の歩むべき道に出会います。 ...続きを見る

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2018/04/30 19:38
イエスは「真ん中に」立った!
復活したイエスは、迫害を恐れて家に引きこもっていた使徒たちに現れた。彼らの真ん中に立って「あなた方に平和があるように」と言って祝福を与えると、使徒たちの心は平和と喜びに満たされ、勇気が湧いてきた。聖書は主のご出現の場面をこのように記しています。 主は復活されて、今も私たちと共におられます。そして同じことが起こります。主を心に迎えるなら、喜びと平和が訪れるのです。イエスは使徒たちの真ん中に立ちました。皆が一つになってイエスを取り囲みます。強い絆を実感します。しかし、その場にいなかった使徒トマ... ...続きを見る

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2018/04/21 10:26
信仰を形に残す
信仰を形に残す ローマでは、道すがら名もない教会に立ち寄っても、その中は立派な大理石で造られ豪華な装飾で埋め尽くされていて、その壮麗さに目を奪われます。日本に持って来れば間違いなくナンバーワンの教会です。ましてや有名な教会は想像を絶する豪華さと巨大さです。はじめは驚嘆ばかりしていましたが、座って祈っていると気がつきました。これは当時の人々の信仰の証であることに。 ...続きを見る

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2018/04/13 14:04
十字架を愛する、義務を愛する
カトリック教会に入ると、必ず目立つ所に十字架像があります。救いは人間の力によるのではなく、キリストの受難と死を通して与えられるからです。また、イエスは最後の晩餐で、「高く揚げられるとき、わたしは全ての人を引き寄せる」と預言しました。教会の十字架は、その足下へ私たちを招いているのです。しかし、カトリック教会は十字架を重視するあまり、権威の力で信者に善行や犠牲を押し付ける傾向がありました。善意からとは言え、結果的に十字架は押し付けられるという印象を与えてしまいました。義務的な十字架では、信仰の喜びは... ...続きを見る

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2018/03/17 11:11
信仰は十字架で育つ
聖人たちは、みんな神から使命を受けて、それを愛し、懸命に果たしたに過ぎません。その結果、神から救いの実を受け取ったのです。「自分に死んで神に生きる」、つまり神のお望みを自分のものにしたのです。これこそが救いであり、「愛の十字架」と言われるものです。 ...続きを見る

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2018/03/10 11:30
信仰を完成させるものは?
ユダヤ教は「心を尽くして、力を尽くして神を愛せよ」と教えていましたが、実際は掟や規則を守ることだけに終始しました。パウロは「飲むにつけ、食べるにつけ、神を賛美せよ」と教えています。今や、イエスを愛することで天の父である神を愛せるようになりました。キリスト教の新しさは「神を日常生活で愛する」ことでした! ...続きを見る

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2018/03/03 11:23
神の子の自由
現代社会では、誰もが自由に憧れ、自由を求めている。同時に、誰もが何かしらの不自由を感じながら生きている。自由がこれほど強調されたことは、人類の歴史を振り返っても、ない。「何でも出来る」自由を手にすれば幸せになれるという幻想が、かえって不自由を際立たせて「自分は不幸だ」と勘違いさせているのではないだろうか?私たちの自由は「愛するため」の自由であり、義務や、苦しみさえ愛することが出来る自由なのです。 ...続きを見る

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2018/02/24 12:20
「もらう」信仰から「与える」信仰へ
多くの人は、信仰によって「神様から何かをもらう」ことを望んでいるでしょう。しかし願いは、しばしば叶いません。一喜一憂して、時には不平不満を口にして、ストレスになりかねません。「してもらう」信仰は何かが足りません。 ...続きを見る

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2018/02/18 11:43
神の足跡と神の手
自然を探せば、神の英知、美、善を発見できますが、神の愛そのものは見出せません。神の愛は何処に記されたのでしょうか? ...続きを見る

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2018/02/10 10:47
信仰の神秘(ミステリー)
人間の頭の中に入りきれなかった神が、人間の心の中に丸ごと入るのです。これが神秘(ミステリー)です。心は愛によって他者と結ばれるようにできていて、神に心を開くと、そこへ神の愛が注がれ、愛である神ご自身が入って来られます。これは奇跡以上の奇跡です。神の愛のミステリーです。 ...続きを見る

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2018/02/03 10:21
キリスト教の一致
自分だけが正しいと考えるとき、人間は過ちを犯します。なぜなら、真理とは自分ではなく、イエス・キリスト自身だからです。だから、お互いに何かが足りないのです。 ...続きを見る

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2018/01/27 10:13
障害者は社会の宝物
世間は障害者に対して無関心で、自分とは関係ないと思っています。出生前検査で染色体異常(ダウン症)が見つかると、その殆どが中絶を選択している事実からも、「受け入れたくない」という思いが伝わってきます。心ある人は「助けてあげたい」「手伝ってあげたい」と思っているでしょう。しかし「なぜ神様は障害者が生まれるようにされたのか、分からない」と感じています。障害を負った子が生まれると、まるで貧乏くじを引き当てたように不幸を背負わされたと感じるものですが、それがすべてではありません。隠された真実があります。 ... ...続きを見る

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2018/01/20 11:49
信仰の「守・破・離(しゅはり)」
武道には古くから「守・破・離(しゅはり)」という教えがあります。最初は型を忠実に真似て、基本の動きを身に付けることから始めます。我流はダメです。型を「守る」ことを徹底します。それがすべての土台になります。体が型を覚えて、何も考えなくても正しい動きが出来るようになると、次は応用です。型では相手の動きが決まっていますが、実践では型通りにはいきません。相手の動きに応じて受け方も変わります。形にこだわると負けてしまいます。習った型を「破る」必要があります。それは型が目指した心に沿って理に叶った動きを臨機... ...続きを見る

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2018/01/15 15:41
神の協力者
人間は、生まれながらにして誰もが「神の協力者」です。この「神の業(仕事)」(オプス・デイ)をすることが生まれてくる意味であり、人間の使命なのです。ところで、神が人間を手伝うことは分かりますが、反対に人間が神を手伝う必要があるのでしょうか?厳密には「必要」ありませんが、神が人間と一緒に働きたいと望まれたので、協力する必要が生じたと言えばいいでしょう。 ...続きを見る

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2018/01/09 19:24
メリークリスマス「神が人と共にいること」
「クリスマス、おめでとうございます♪」(拍手)でも、なぜ「めでたい」のでしょうか?サンタさんがプレゼントを持ってきてくれるから?では、ないですね!救い主がお生まれになったからです。でも無力な赤ちゃんの姿ですから、どうやって人間を救うのでしょうか?不思議です。でも、赤ちゃんが生まれると家庭に光が差し込みます。家族に喜びをもたらします。何もできないけど、その存在が人々を幸せにするのです。神様も、このように人間を救うのですね。 ...続きを見る

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2017/12/26 19:00
「一杯の水」(王であるキリストの祝日)
英語説教の日本語訳です。「キリストは今も日常生活のごくありきたりの風景の中で、私たちに語りかけています。『水を一杯ください』と。私たちは、日常生活と仕事の中でキリストを見出す努力をしなければなりません。『渇く人に与えた一杯の水は、私にしてくれたことである』(マタイ25,35参照)、とキリストは保証しています。」 ...続きを見る

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2017/12/04 14:21
A Glass of Water
マカオ研修最終日は11月26日(日)、「王であるキリスト」の祝日でした。ミサの説教を紹介します。 "Christ is still talking to us in our ordinary everyday life. He says, “Give me a glass of water.” We must try to find Christ in our daily life and at workplace. “The glass of water given to a thirsty... ...続きを見る

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2017/12/04 14:15
A wise maiden and a foolish maiden
Jesus sometimes tells us parables that are difficult to understand by our common perception. One of them is the parable of “the wise and the foolish maidens”. ...続きを見る

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2017/11/12 19:34
愚かな乙女とは誰?
イエスは、ときどき常識では理解が難しいたとえ話をされました。「賢い乙女と愚かな乙女」もその一つです。油を切らした乙女たちは怠け者ではありませんでした。「言われたこと」を果たしていました。しかし、義務を果たすだけで花婿への心遣い(愛=カリタス)が足りませんでした。賢い乙女たちは忠実に真心を込めて「言われたこと」以上を果たしました。遅れたときの準備もしていました。花婿のことを第一の思い、大切に(=カリタス)していたからです。 ...続きを見る

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2017/11/12 19:30
キリスト者の「新しい律法」とは?
ユダヤ教徒にはモーゼの十戒の他に、生活や習慣を規定する600を超える律法がありました。たとえば、「豚肉を食べてはいけない」とか、「祭壇に捧げものをしなければならない」とかです。これに背いても私たちなら罪になりませんが、ユダヤ教徒なら罪になります。「律法(ルール)違反」という罪です。律法がなければ罪もないが、律法があると罪になるのです。律法(ルール)が罪を作り出したと言えます。イエスは、この律法を廃止しました。と言うより、より完全な形へと完成させました。では、キリスト信者の新しい「律法」とは何でし... ...続きを見る

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2017/11/06 14:42
聖性は「ハイと答える」素直な心
 幼き聖テレーズの7歳下に、同じくフランス人でカルメル会修道女の三位一体の聖エリザベットがいます。彼女は聖性の理想について問われて「愛によって生きること」と答えています。あなたなら、何と答えますか?聖ホセマリアは「日常生活と仕事を通して聖性を追求する」と教えていますが、その知識ではなく、あなたの聖性の生き様を問うています。自分の人生のモットー、あるいは座右の銘と言ってもいいかもしれません。 ...続きを見る

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2017/10/19 11:24
「聖体の生活」−キリストの土台の上に家を建てる−
 イエスは人生を「家を建てる」という例え話で説明します。誰もが立派な家を建てることが幸福だと勘違いしています。しかし、たとえ金銀の立派な家を建てても、砂地に立っていれば砂上の楼閣に過ぎません。一旦大雨が降って洪水になれば流されて、後には何も残りません。木材の質素な家でも頑丈な岩の上に建っていれば、流されずに家は残ります。大切なことは家の立派さではなく、何の上に建てているか、なのです。 ...続きを見る

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2017/10/07 09:25
「神の論理」と「人間の論理」
 福音書を読むと、ちょっと納得できないようなイエスの言動に出くわします。たとえば、朝早くから働いた人が、夕方から一時間だけ働いた人と同じ賃金だったので不満を漏らすと、イエスはその人を叱った(マタイ20. 1-20)。おもてなしに忙殺されたマルタが、手伝わない妹マリアに腹を立て、イエスに手伝うように頼んだら、逆にマルタが叱られた(ルカ10.40-)。放蕩息子の例え話では、父親は放蕩をして無一文になった息子を喜んで迎えるのに、父に忠実だったその兄に対して厳しい態度を取る(ルカ15.11-32)、など... ...続きを見る

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2017/09/29 16:12
「いい人」とは、「聖人」とは・・・?
 いつも笑顔の人は「優しい人」、相手に手を差し伸べる人は「親切な人」です。では「善い人」とは、どんな人だと思いますか?「善行をする人」と考えるかもしれませんね。古の聖人(聖アウグスティヌスだったかな?)は、「全てを善く行う人」と定義しています。親切などの善い行いだけでなく、「すべて」です。つまり、飲んだり食べたりすることも、「よく行う」のです。「善い飲み方、食べ方」とは、暴飲暴食の反対です。腹八分で抑え、好きなものを控えたり、嫌いなものもすすんで食べたりします。節制や慎み、犠牲の精神が生きている... ...続きを見る

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2017/09/21 14:47
「救い」は信仰から!
 苦しみや困難から救われたいと思う人は多いでしょうが、魂の救いを願う人は少ないかもしれません。キリスト教が「神の救い」という時、具体的には何を指しているのでしょうか?けっして現世的な解決や癒しではありません。第一は霊魂の救いです。つまり、原罪によって悪に染まった霊魂を清め、永遠の生命を受けて天国に入ることを意味しています。まず、この世で「救いの始まり」である洗礼で原罪から清められ、人生という「救いの道」で聖体やゆるしの秘跡で強められ、「救いの完成」すなわち天国に入ることです。 ...続きを見る

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2017/09/15 16:39
「交わり」の霊性
3. 三位一体の神に似ている人間 『神は人間を救うに当たって、一人ひとりを別々に救うこともお出来になったが、一つの「神の民」として集め教会を設立して、一つの家族として人類を救いに招かれました』(教会憲章9番参照)。なぜでしょうか?罪は個人的ですから、聖性も個人的です。だから、一人ひとり個別に救われるのが理に叶っていると考えても不思議ではありません。でも、神の考えは違いました。最初からそうでした。アダムという個人的な罪が全人類に及びました。そこにヒントが隠されています。 ...続きを見る

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2017/09/07 15:07

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