二つの自由

 自由には「内的自由」と「外的自由」がありますが、世間では後者ばかりが取り上げられています。たとえば「自由とは、社会の規制や義務から解放されること」。少なくとも、それらを減らすことが自由の増大になるという考えです。あるいは、権力によって束縛された状態を克服するために、より多くの権利を獲得することが自由の増大になるという考えもあります…
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すべてをコントロールしたい現代人

   「安心・安全」を過度に追及して、あらゆる事を管理しないと不安になる現代人、必読!現代人は、信じる力が弱っています。人を信じる。神を信じる。希望を信じる。愛を信じる。幸せになるために、これらを取り戻しましょう。(『あなたによいことが起こるために』マリアン・ロハス著、プリズム社2021年 amazonレビューより)  現代人は…
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自由と規律-『ドラゴン桜II』もう一つの見所-

 自由な雰囲気を校風とする龍海学園に、スパルタ指導で生徒を東大に入学させることで有名なS先生が赴任してきました。自由と言いながら、生徒は無気力でダラダラとした生活を送っているだけ、希望も向上心も見られず、荒んだ雰囲気が広がっていました。そこに「東大を目指す」というはっきりした目標と刺激が与えられました。それを実現させる具体的な対策も…
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「夢を追いかける」勘違い

「夢を追いかけて何が悪い!夢があるから立ち上がれる。夢があるから頑張れる。夢があるから生きていける」。映画『キングダム』クライマックスの名セリフです。夢をあきらめずに追いかけてメダルを取ったドラマを、TOKYO2020オリンピックでいくつも見てきました。私も共感します。その一方で「夢を追いかけて人生を棒に振る人」がいることを忘れ…
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わたし(イエス)のもとに来なさい!

「パンを増やす奇跡」の後、人々はイエスを追いかけました。しかし、人々はイエス自身を求めたのではなく、再びパンを食べて満腹になりたかっただけです。パンは食べても、再び空腹になります。一時的に満たされても、すぐに飢えます。過ぎ去る虚しいものを求めるのではなく、過ぎ去らないものを求めましょう。イエスが私たちに与えたいのは、飢えることも…
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聖性は毒麦と生きること

 イエスは天の国を「よい麦と毒麦」(マタイ13.24-30)に例えています。常識的に考えれば、天国はよい麦だけで、毒麦は一つもないはずです。だから、しもべは主人に「(毒麦を)抜いてしまいましょうか」と申し出ました。ところが、主人の返事は意外でした。「抜かずに、そのままにしておきなさい。よい麦まで傷つけるかもしれないから」。よい麦と毒…
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聖性は「からし種」に似ている-霊的幼児の生活-

イエスは神の国を「からし種」にたとえました。どこが天国と似ているのでしょうか?播く時は一番小さな種だが、成長すると空の鳥が巣を作るほど大きくなるからと説明しています。天国は小さな種から始まるのです。大きく立派になった者が入るではありません。小さくなった者が入るのです。だから「小さな子どものようにならなければ、天の国に入れない」と…
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感情をコントロールする

半年後、君たちは共通テストを受けているでしょう。期日が迫って来ると緊張と不安が心に広がって来ると思われます。感情は望まなくても現れます。忘れようとすればするほど強くなります。どのように向き合えばいいのでしょうか?感情は消すことができませんが、ある程度コントロールすることができます。感情にはメカニズムがあり、それを承知していれば上手に…
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イエスの思いやりに触れる

「飼い主のいない羊のような群衆を見て、深く憐み」(マルコ6.34) 長時間、教えられた。別の場面では、たくさんの病人が押し寄せた時、憐れに思い、一人一人に手を置いて癒されました。イエスが人々に示された細やかな心遣いを見て、感動しませんか? ただ奇跡で病気を癒すだけではなく、一人一人に愛情を注ぎます。個人的なつながりを求めます。…
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愛国心が日本を救ってきた

 もうすぐ長崎原爆投下と終戦の記念日を迎えます。戦後は愛国心が軍国主義を助長すると考えられて、危険視されてきました。しかし、本当は逆です。若者の純粋な愛国心が日本を救ったのです。それを巧みに利用したのが軍国主義であり愛国主義です。これと愛国心を区別しなければ本当のことが分かりません。神風特攻で散って行った若者は軍国主義者ではありませ…
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信徒の聖性=「世の光」になること

 教会の歴史に「信徒の聖性」の道を切り開いた聖ホセマリアは、「喜びと真心をこめて人々に仕え」「信仰と愛の光で地上を照らす」ように教えました。これは、イエスが教えた「地の塩」「世の光」と同じです。「地」とは家庭や社会における人間関係のことであり、「世」とは人間のあらゆる活動、すなわち政治、経済、教育、文化、芸術、スポーツ、福祉、医療、…
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「運」と「メンタル」の正体

大谷選手の快進撃が続いています。今の成功は、彼が高校時代から実践していた「あること」が大きく関係しています。それがマンダラチャートです。正方形を9分割して、人生の目標をど真ん中に書いて、それを実現するために必要な項目を周囲の8つの小正方形に書き、それぞれの項目をまた9分割して、それを実現させる具体的行動を周囲の小正方形に書くというも…
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なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。(マルコ4.35-41)

 ベトナム戦争終結後、サイゴンを占拠した共産党から不当に逮捕され、13余年にわたる拘留・軟禁・独房生活送ったグエン・ヴァン・トゥアン枢機卿は、獄中での祈りをメモに書き残し、後に「5つのパンと2ひきの魚」-獄中からの祈り-(女子パウロ会2007年)として出版した。  司教として次々と教会を巡り、信者たちを訪問して励まし教え、神の…
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イエスの「聖心(みこころ)」に触れる

御心は心臓の形で表わされます。つまり人間の心です。イエスは今も生きていて、私たちと同じ人間の思い、願い、感情(喜び、悲しみ、苦しみ、痛みなど)があるのです。涙、汗、血を流すのが、み心です。聖マザーテレサはイエスの一言が胸に響いて貧民街に出かけていきました。その、たった一言とは「渇く」でした。胸の中にイエスの言葉が突き刺さりました。2…
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神の手に導かれて(2)-司祭叙階銀祝に寄せて-

 父は典型的な古い日本人で、キリスト教を嫌っていました。洗礼を受けるときは何も言わなかった父ですが、司祭になりたいと伝えた時は「それだけは止めて欲しい」と反対しました。それでも出発するときは見送ってくれました。日本に帰ったら、父を悲しませることになるかもしれないけど、一番に父に知らせようと考えていました。帰国直前に、一度も病気を…
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神の手に導かれて-司祭叙階銀祝に寄せて-

 「司祭になりたい」と思ったことは一度もありませんでした。意外に思われるかもしれませんが、本当です。なぜなら大学生の時にオプス・デイと出会い、「社会人としての務めを果たしながら福音を広げ、社会を聖化する道」を発見して、洗礼を受けたからです。それは神戸大教育学部を卒業して、長崎で始まったばかりのカトリックの学校に教師として勤め始めたこ…
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聖体「今、私と生きているイエス」

   「人間は一本の葦である」で有名なパスカルが、「哲学者の神ではなく、生きた神〈アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神〉を信じる」と述べています。哲学者の神とは、天地万物の創造主、全知全能の神など、知識の中にある神です。これは冷たい神であり、私たちを救うことはできません。私たちが信じて従う神は、もっと身近な神です。おじいちゃんや…
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三位一体「みなが一つになるように」

2021/05/30 「三位一体」の主日(マタイ28.16-20)  神は唯一でありながら「父と子と聖霊」という三つのペルソナです。これを三位一体といいます。神様は一人ぼっちの孤独な方ではなく、互いに相手を思い、愛し合う方です。人間もこれに似ています。イエス、マリア、ヨゼフを「地上の三位一体」と表現することがあります。なぜなら、…
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聖霊降臨「霊の実りは喜びと平和」

 イエスは最後の晩餐で、ご自身の昇天と聖霊について話されました。それは「あなたたちが平和を得るため」(ヨハネ16.33)であり「私の喜びが、あなたの心に満ちるためです」(ヨハネ17.13)。また「その喜びは、誰からも取り去られることはない」(ヨハネ16.22)のです。「ぶどうの枝が木につながっているなら」(ヨハネ15章)とたとえ話で…
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主の昇天「イエスは見えなくなった!」

「隣の友だちの顔を見てください。見えますね。今度は自分の顔を見てください」。子どもたちは一斉に「見えません」「鏡がないと見られません」と元気よく答えます。「はい、その通りです。人の顔は見れても、自分の顔は見れないのです」。 小学生ミサの説教の冒頭部分です。死者から復活したイエスを見て、弟子たちは疑い、恐れ、戸惑いました。幽霊ではな…
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未来を創るのは自分の心ー真の自由ー

 ようこそ、精道学園に!希望と不安の内に新たな学園生活を始めたことでしょう。今は、体育祭を終えて不安は消えたみたいですね。みなさんの瞳には、未来を見つめる希望の光が宿っています。何を求めて精道に来ましたか?勉強するためですか。部活をするためですか。人間として成長するためです。宇宙が無限い広いように、人間の心も限りなく大きく広がります…
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神のいつくしみは永遠

  主の復活祭の次の主日は「神のいつくしみの主日」でした。主イエスが復活して私たちと共に生きておられるように、神のいつくしみは今も働いていることを思い出すためです。でも、多くの人は神の恵みを身近に感じていません。遠い将来のことと勘違いしています。「永遠」とは、遠い将来のことではなく、「今も、過去も、未来も代々に同じ」という意味です…
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現実の中でイエスに出会う

   「復活した主イエスが現れたら、信じる」という人がいます。本当にそうでしょうか?もしイエスが出現したら、人はどんな反応をするのでしょうか?福音書に書いてあります。人々を恐れて家に鍵をかけて閉じこもっていた使徒たちの所へ、イエスが入って来て現れました。それを見て喜んだのでしょうか?いいえ!「戸惑い、恐れ、疑った」とルカは記してい…
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私の「アレルヤ」

 主は復活された!「アレルヤ」。しかし、出来事としての復活と使徒たちが気づくまでに時間差があります。主イエスのご出現を見ても、すぐに理解出来ませんでした。マグダラのマリアは、死者のうちにイエスを探していたので、生きているイエスを見ても分かりませんでした。「マリア」と名前を呼ばれ、ハッと我に返り気づいた瞬間が彼女の「アレルヤ」でした。…
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天の父から見たイエスの復活

「主は復活された、アレルヤ!」みなさん、おめでとうございます。イエスは死に打ち勝って復活されました。そして、私たちの所へ来てくださいました。悲しみ、落ち込んでいる私たちを励ますために。私たちの死んでいた心が生き返ります。共に感謝し、共に祝いましょう。ところで、天の御父から見れば「イエスの復活」とは、どんな意味があるのでしょうか?それは、…
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神は愛をあきらめない!-御父の聖週間-

 いよいよ聖週間が始まりました。神の救いを再発見する好機です。救いとは、苦しみから解放されるだけの小さな幸せではありません。神の命に迎えられ、最高の喜びを永遠に味わうのです。私たちの想像をはるかに超えた現実です。私たちを神の家に迎えるために、天の父は独り子イエスをこの世に送ってくださいました。イエスの業は、ことごとく天の父の望みその…
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苦しみを乗り越える秘訣

5年前、熊本で二日続けて大地震がありました。温泉宿を経営していたある人は、建物が大きな被害を受けて再開の目処が立たず、途方に暮れていました。それから二か月後、今度は集中豪雨で山が崩れ、温泉と宿が泥に埋もれてしまいました。もう何もかも失い、借金だけが残りました。放心状態で、一時は死を考える日々が続きました。ただ敷地の隅に、忘れ去られたよう…
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四旬節「涙の谷で恵みを見つける」

 「♪谷川の水を求めて、喘ぎ彷徨う鹿のように、わたしは、あなたを慕う」(詩編42)。この鹿は私たちのことです。恵みを求めて川の水を探し求めます。探しなさい。見つけます。求めなさい。与えられます。叩きなさい。開かれます。しかし、求めなければ、探さなければ、叩かなければ、恵みに出会えません。神は、もう恵みを準備されています。鹿のように探…
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人生は光と陰で出来ている-東日本大震災10周年ー

 東日本大震災から10年の節目を迎えました。当時、被害の大きさに「神も仏もいない」と感じた人が多くいたでしょう。都知事が「天罰が下った」と発言したことも話題になりました。どちらも間違いです。神はいるし、罰を下したのでもありません。神は、人間から苦しみや悲しみの出来事を取り去るのではなく、その心に寄り添い、慰め、励まし、そこから…
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四旬節第3主日(B年)ヨハネ3.12-25『あなたの熱意が神を食い尽くす』

 神殿で犠牲(いけにえ)にするための牛や羊や鳩を売っていた商売人を、イエスは力づくで追い出しました。その様子を見て、使徒は聖書の一節を思い出しました。それが上の言葉です。神殿や参拝者を思って商売していた人は、信仰熱心に見えますが、その心は神から遠く離れていました。商売への熱心さが、かえって信仰の熱を冷ましていたのです。イエスは別の場…
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「おかげさま」の人生

 来週、いよいよ卒業式を迎えます。今日は卒業感謝ミサです。なぜ感謝を捧げるのでしょうか?3年間、努力をしたのは他の誰でもない君たち自身です。自分を褒めてあげるなら理屈が通りますが、感謝する理由が分からないかもしれません。学ぶ努力をしたのは君たちですが、教える人がいなければ学ぶことすら出来ませんでした。学校という教える場があったの…
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信念が人生を拓く

 高校三年生の時、奨学金を貰うために受けた面接で、忘れられない質問があります。「あなたは、自分の信念で毎日休まずに続けてきた何かがありますか?」答えに窮しました。それまでの自分は、言われたこと、与えられたことを真面目に果たすことが良い生徒だと思っていました。しかし、自分から信念を持って取り組むことがなかったことに気付かされたのです。…
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ノーベル賞の医者も認めた聖母の奇跡

 ノーベル生理学・医学賞を獲った医者アレキシス・カレル(1873-1944)は、無神論者で奇跡を信じていなかった。フランスのルルドで病気が治ったという噂が世界中に広まるのを苦々しく思っていた。「この奇跡の嘘を暴いてやろう」と決心して現地に乗り込み徹底調査した。その結果、多くは医学的に説明できるもので、奇跡ではないことを明らかにした。…
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聖ヨゼフは社会人だった!

   聖ヨセフは祭司でもなく、修道者でもなく、律法学者でもありませんでした。ナザレの村人、仕事は大工、マリアの夫、イエスの父親、一家の主、すなわち普通の社会人であり、家庭人でした。イエスが宣教を始めた時、村人は「大工の子ではないか!」と不信に思い、つまずきました。みんながヨゼフは自分たちの仲間だと思っていた証拠です。それほどヨゼフ…
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私たちを悪からお救い下さい!

 天使は存在します。そして悪霊も存在します。悪霊は元天使なのです。神は悪を創造しませんでした。神は愛であり、善だからです。よいものしか造りませんでした。悪は神から生まれません。悪意から生まれます。生まれるというより、善を追い出し、神の光を消すと悪になるのです。  天使は神に似た者に造られました。それに満足せず、高慢から「神のように…
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汝の敵を愛せよ!-ノーサイドの精神ー

 米国の大統領選が終わりました。共和党と民主党が対立して、相手を誹謗中傷したり、デマ(フェイクニュース)を拡散したり、挙句は暴力で勝利を奪い取ろうとまでしました。その結果、国は二つに分断され、溝は深まりました。両者とも米国を愛し、国のために戦いましたが、その結果、国を大きく傷つけるだけの結果になりました。今こそ、イエスの教えを再発見…
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新年新戦

コロナ対策で例年の元旦ミサ、初日の出や初詣(宗教行為ではなく、伝統文化や習慣です)を自粛した方も多いと思いますが、やはり新しい年を新しい気分で迎えたいものです。しかし、新しい気分は朝露ほども続きません。すぐに、いつもの当たり前の生活や仕事が始まります。気分だけで新しい自分になれません。自己との戦いが必要です。聖ホセマリアは新年を迎え…
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神と共に生きる

 これは、キリスト者の目標であり、憧れです。義務を果たすだけの信仰では物足りないし、第一それでは幸せになれません。神が私たちに望んでいることは、心の平安、落ち着き、そして幸せです。それに応えるためには、神と共に生きることが欠かせません。教会では、古くから「神の現存」と言われています。しかし、煩雑な日常生活をしながら神を思い出せる…
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新年おめでとうございます

ステイホーム🏡ですが、ステイゴッドも心がけたいですね😉神と共に過ごすことも大切。観光地では人が激減!ハワイの海がうつくしさを取り戻したそうです🎵私たちのせいですネ♪環境保護、意識して暮らしましょう!キープエコ♪自然はみんなのもの!自分勝手に使えません。独り占め出来ません。やめましょう!ストップエゴ👍よい年になりますように〜祈りで新年をス…
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神様と赤ちゃん

   赤ちゃんが生まれると、家庭に大きな喜びが生まれます。新しい命の誕生によって、夫婦は家族になります。新しい命は神様からの祝福であり、恵みなのです。ただし、この祝福は善意の人、愛する心がなければ理解できません。自分中心の生き方をする人にとって、新しい命は邪魔者になるのです。小さな命は自分で生きていけないので、世話をしなければなり…
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馬小屋と心の平和

 最初のクリスマスである主イエスの誕生は、沈黙と静けさの内に実現します。人間的に見れば、その道のりは苦難に満ちたものでした。出産が間近に迫った頃に人口調査が発令され、ナザレから本籍地のベトレヘムまで約一週間の旅を強いられました。それだけでも不安を駆り立てますが、村に着けば人でごった返し、宿屋に部屋が見つかりません。心配はさらに増し、…
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主よ、私の心に来てください!

 待降節が始まりました。イエス・キリストの誕生を準備する季節です。しかし、ちょっと変ですね。もう2,000年前に中東の小さな村ベツレヘムで生まれたのですから、準備は必要ないはずです。誕生日を祝うだけで十分でしょう。でも毎年、待降節で主の誕生を準備します。それは、イエスのもう一つの誕生と関係があるからです。その新たな誕生を準備して…
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馬小屋は人類の記憶を伝える

クリスマスが近づくと教会や家庭で馬小屋が飾られます。それは季節を彩る風物詩ですが、ほんとうは違います。人類にとって大切な出来事の記憶を後世に伝えているのです。例を挙げましょう。平和公園の像は何のために建てられたのでしょうか?観光客を集めるためではありません。今から75年前、原爆が落とされて一瞬にして7万人の命が奪われた悲惨な出…
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大きな石を置く

 有名な実験があります。透明のケースに大きな石を入れていっぱいにします。「もう入りませんか?」と尋ねると「小さな石なら入ります」と答えが返ってきます。砂利を入れると、隙間に入っていきます。「もう入りませんか?」と再び問いかけると「砂なら入ります」と答えがあります。砂を入れると、結構な量が入りました。隙間は砂で埋め尽くされて、ケースは…
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「王であるキリスト」-創造と贖いのみ業に協力する-

 宇宙の壮大さと緻密さ、大自然の美しさと調和、動植物の多様さと一致、すべてが神の英知と善を映し出し、完璧です。完成されています。その中で人間だけが未完成です。神の創造の中でも傑出した存在ですが、まだ未完成です。人間創造に当たって、神は最後の石を置かなかったのです。それを正しい場所に置けば完成します。その石を人間自身の手に渡しました。…
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年間33主日(A)「タレントのたとえ話』「時は金なり?神の栄光、生命なり!」

 世間では「時は金なり」と言って、時間をお金に換算して考えますが、「時間=お金」でしょうか?それ以上の価値が隠されています。聖ホセマリアは「時は神の栄光のため」(『道』355)と教えています。時間は神から与えられた賜物(ギフト)であり、同時に神からの預かりものです。人生という時間を頂き、それを活用して、死を迎えて人生を神にお返し…
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年間29主日「神のものは神へ、皇帝のものは皇帝へ」(マタイ22.21)

 イエスと敵対していた一人が、意地悪い質問をします。「ローマ皇帝に税を納めることに対して、どうお考えですか?」賛成すればユダヤ民族に対する「裏切り」、反対すれば皇帝への「反逆罪」で死刑になります。イエス様は、その人に硬貨を持って来させ、そこに彫られている像と銘を問うた。「ローマ皇帝チェザルです」イエスは「神のものは神に、皇帝のものは…
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命の使い途

 先日、市内の女子高生が商業施設から飛び降り自殺をしました。学校現場では、しばしば「命を大切にしましょう」という緊急集会が開かれたりします。それに異論はないのですが、「大切にする」中身について語られることがありません。それが物足りないと常々感じていました。ただ「自ら命を絶たないこと」だけなら賛成できません。それは「よく生きること…
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「命もいらず、名もいらず」

 「官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」西郷が幕臣の山岡鉄舟について語った言葉として、「西郷南洲翁遺訓」の中に紹介されています。社会的地位、見返り、報酬など、損得勘定だけで動く人間が増えすぎてしまった現代において、「命もいらず、名もいらず、官位も金もい…
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苦しみは神の「み旨」か?

 病気になったり、事故に遭ったり、侮辱を受けたりした時、「神のみ旨ですから、受け入れましょう」と、慰められた経験があるかもしれません。キリスト教では、しばしば「神のみ旨」という言葉が使われます。確かに、人生で出会う困難はイエスの十字架に与る、という意味が隠されています。そういう意味では「神のみ旨」で間違いありません。しかし、本人…
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