聖ホセマリアの教え 「天と地をつなぐ」 -信仰と理性は私の中で一つになる-

1789年(イナワクすぶる)に始まったフランス革命は、正義、自由、博愛のための闘いと考えられていますが、実際はカトリック教会に反対する運動でした。それ以降、信仰は理性と相入れない矛盾するもの、宗教と科学は対立するという構図が出来上がってしまいました。本当は、宗教と科学は互いに助け合い補完する関係で社会を築き、信仰と理性は協力して人間を完…
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人間関係を聖化する

最近、「聖性」という言葉をよく見かけるようになりましたが、実際のところ良く分からないというのが実情かもしれません。聖なることを追求することですから、信心深くなることに思えます。祈りと犠牲を指しているみたいです。でも、それだけではありません。日常生活と仕事を通して、「イエス・キリストに似た者になること」を指しています。そして、聖性こそが「…
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取り次ぎの祈り-奇跡は起こる-

みなさんのテニス部の先輩で、M君という人がいます。O先生の教え子です。テニスがとても上手でした。先月、そのお母さんからお願いごとをされました。足が悪くて車椅子で生活されていますが、家族や周りの方に迷惑をかけているので、足が治るように祈ってくださいと頼まれたのです。医者からは治らないと言われているのですが、奇跡が起こると言われるフランスの…
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信仰を「告白する」聖霊

復活したキリストに出会って、使徒たちも「復活」しました。十字架を恐れて、臆病になって逃げて、「イエスを知らない!」と裏切ったペトロは、「主を愛しています!」と三回繰り返して告白しました。「信じない」と頑固に言い張ったトマスは「私の主、私の神」と信仰宣言しました。イエスの死に絶望して、故郷エマオへ帰って行く弟子は、希望にあふれて神の都へ戻…
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祈りは人間の証明

発掘された人骨が人間のものか、類人猿のものか、それを識別するための一つが、「祈り」です。死者を葬った形跡があれば人間です。たとえば、人骨と一緒に花粉や種が大量に見つかれば、亡骸と一緒に花を手向けたことが分かります。あるいは、魂が抜けださないように体勢が不自然に窮屈な状態で見つかれば、これも祈りの跡です。いずれも死後の世界を考えている証拠…
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あなたの人生を始めよう!

みなさんは、私が神父だから神様の話をすると思っているでしょう。そうではありません。その逆です。神様を信じて、神様について伝えたいから神父になったのです。先生が教えるのは、先生だから当たり前と思うでしょう。それも逆です。その人は、ある日、ある時、教師になろうと決心したのです。決心させる何かが心の中に起こったのです。みなさんにとって親が親な…
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令和へ、祈りを引き継ぐ

4月30日、天皇退位に伴い、最後にお言葉を述べられました。あらためて天皇が国民に寄り添い、誠心誠意、国民の幸せだけを思って生きてこられたことが明らかにされました。本当に有難いことです。国の代表が自己を忘れて国家と世界の平和を心から願い、人々の幸せだけを考えて祈っている国は、世界のどこを見ても、どの時代を探しても、なかなか見当たりません。…
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復活したイエスは使徒たちと食事する

11人の使徒たちは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵をかけて家に隠れていましたが、そこへイエスが出現されました。平和の挨拶をして、最初に話された言葉が「ここに、何か食べ物があるか?」でした。一切れの焼いた魚を差し出すと、皆の前で食べられました。8日目に、同じ場所で2回目の出現がありました。使徒への三回目の出現は、がリラヤに戻ったペトロたちが湖へ漁…
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令和元年、キリストは生きている

大会社の社長が社員に変装して職場に潜入、社員の働きぶりや現場の様子を探り、その後、優秀だった社員を社長室に招いて種明かしする、アメリカの人気番組です。これが日本でも評判になっています。私が偶然に見たのは、ハンバーガーの大手チェーン店の社長が、アルバイトのおじいちゃんになって、お店で働くというものでした。初日は、注文を取るのも手間取り、…
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復活節を如何に生きるか?

誰もが四旬節は犠牲の時だと知っています。しかし、復活祭を祝うと全てが終わったように感じて、気持ちが緩んでしまいます。復活祭を堺にイエスがどこか遠くへ行ってしまったみたいです。「イエスは復活して今も生きておられる!」霊降臨までの五十日間、復活節が続きます。この期間をどのように生きるか、これこそが信仰生活の中心になるべき事柄です。犠牲の期間…
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聖金曜日、十字架の礼拝

 ヨハネ福音の受難の場面が読まれました。今、私たちは聖母マリア、使徒ヨハネ、聖なる婦人たちと共にカルワリオの丘に立っています。私たちだけではありません。今日、世界中の十数億人というカトリック信者が一緒に立っています。2000年前のことを思い出しているのではありません。十字架のイエスと同じ時間を過ごしているのです。イエスは、本当に十字架の…
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隠されたキリスト

聖週間が近づくと十字架像が紫色の布で覆われて、隠されます。どうしてでしょうか?私たちの心の中のイエスも、度々このように隠されたり、隅に追いやられたり、見て見ぬふりをされているのではないでしょうか?隠している正体は、怠け心や世間体や自己愛、高慢心です。このように、心に被いかぶさっている布を取り去らなければなりません。心の真ん中に十字架のイ…
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真の「無の境地」

日本人は昔から煩悩(欲望)から解放された生き方を理想としてきました。そのために座禅を組んだり、滝に打たれたり、真冬に冷たい川や池に入って経を唱えたりして、無の境地を目指す人が今もいます。しかし、欲望を求め続ける風潮に流されて無理だと諦めている人も多いでしょう。時代遅れと軽蔑している人もいるかもしれません。しかし、無の境地よりもっと大切な…
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聖性のしるし

聖性と似た言葉に「成聖」があります。何が違うのか、質問されました。「成聖の恵み」と言って、洗礼によって原罪がゆるされ、神の子の身分をいただき、永遠の生命が始まることを指しています。神の義が人間に与えられ、神の義が成就することですから「成義」とも言います。これらは人間の努力で獲得できるものではありません。一方的に神の慈しみと憐みによって与…
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イエスは命令しない、招いている!

カトリック司祭は独身だと説明すると、「結婚できないんですか?」と訊かれます。「出来ない」という言葉は否定的な響きがあります。本当はしたいのに、命令されて従わなければならない、信仰には不自由が伴う、信仰すると自由がなくなると勘違いされているのです。イエス・キリストは人間を救うために様々な命令をして、自由を奪っているみたいです。でも、それは…
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仕事の成功と「人生の成功」

ビジネススクールはビジネスの成功を請け負っています。そのために学生は高い授業料を支払って入学します。私が訪問していたバルセロナにあるIESEも同様です。学生は、大学を卒業して社会人を経験した人が条件です(今年から緩和された)。だから一流企業から派遣されて来ている人もいますが、前途有望な仕事を辞め退職金を授業料に充てて家族連れで来ている人…
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永遠の都ローマより

4日間の滞在が終わりました!今から日本に帰ります。最後のローマを心に焼き付けました… 10日、最後の日曜日にパパ様の話がありましたよ…開いた窓から話されました♪小さいけど、見えますか? バチカン大聖堂の左側外壁に聖ホセマリアの彫像が安置されています。5mぐらいありますよ… ローマ滞在中のハイライトは、聖ペトロの墓の祭壇…
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バルセロナ最終便

最後にサグラダ・ファミリアをゆっくり訪れました★聖堂内は、森の大木に囲まれたような神秘な気配が漂っていますよ…♪入場は『生誕のファサード』から!外尾悦郎さんが監修・制作した大作です…すぐに入るのが、もったいない!内部は、歩き回って見るより、ベンチに座って瞑想する方が多くを感じ取るでしょう(^^) 『生誕のファサード』全景。中央が、…
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バルセロナ便り8

「スペイン国王が訪問するIESEって、何?」というコメントが寄せられたので、簡単に紹介しますね…♪先日は創立60周年記念でスペイン国王が訪問されました★ヨーロッパでは有数のビジネススクール(MBA)です。日本では、アメリカのハーバード大のビジネススクールが有名ですが、こちらでは同等の評価を受けていますよ…♪日本でも、留学を考えているビジ…
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バルセロナ便り7-2

奇岩が立ち並ぶ絶景、世界でここでしか見られない絶景です!自然の力強さを感じますよ…♪ご覧くださいね…(^^) 人々の信を映し出している「祈りのローソク」ですよ…♪ 神が宿る岩、そんな言葉がピッタリの場所ですね…! 神々しい光が見送ってくれました★神を感じますよ…
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バルセロナ便り7

3月1日バルセロナから車で1時間、モンセラットの聖母修道院へ巡礼して来ました★落日が神々しい光を放ってましたよ…♪ 大聖堂の入口、イエスの十二使徒のご像が迎えてくれました! 教会内部、荘厳な雰囲気に満たされていますよ…♪中央の奥に輝いている所に聖母像が安置されています! モンセラットの聖母像ですよ(^^)1000年前に…
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バルセロナ便り6

午後の講義が終わって、夕方、コロンブス広場を 散歩しました★ 参加している大学生と 一緒です! 街全体がお祭りの雰囲気がいっぱい!来週の水曜日から四旬節が始まるので、カーニバル祭が始まっていたからですね(^^) キャンパスのシンポジウム開場です。この隣の建物の中会議室で講義を受けています! IESEの理念が描…
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バルセロナ便り5

昨日、夕方に日本から大学生グループが到着しました★私も『森の館』に引っ越しました。今日からオープンキャンパス形式で、午前と午後に2時間ずつの講義&討議が始まり忙しくなりました!古い民家を改造した『森の館』です。 バルセロナの裏側の街が見えます!神戸でいえば有馬ですね… 1946年6月21日聖ホセマリアがバルセロナからローマへ…
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バルセロナ便り4

こちらの教会や修道院を訪問して、信仰の伝統と力強さ、清い心を感じました!それを写真で表現してみましたよ…♪ 散歩中に偶然に見つけた教会ですが、中世のたたずまいに心惹かれました★ キャンパスの中庭で見つけたオリーブの老木、風雪に耐えて生き抜いてきた強さを感じました! キャンパスの中庭から見た学生寮ですよ(^^) 今日夕…
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バルセロナ便り3

部屋から見える景色です…♪手前に見えるのが、キャンパスの迎賓館です…写真を拡大して見ると山頂に大きな教会が見えますよ…『イエスのみ心教会』です(^^)塔のてっぺんに十字架に見えるのは、手を広げたイエス像です。バルセロナの街を守っているように見えます!山は、Tibidabo山と言い、ラテン語で意味は「お前に(この街を)与える」です。悪魔が…
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バルセロナ便り2

私が住んでいる国際寮、80名の様々な国籍学生が住んでいます。 庭の聖母像ですよ(^^)ここでロザリオを祈っています! 隣が南キャンパスの中庭ですよ…♪ 南キャンパスの来賓館ですよ…♪
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バルセロナ便り

20日からスペインのバルセロナに来ています。ビジネススクール、IESEで日本人学生と話してますよ…こちらの様子を写真でお伝えしましょうね…♪歩いて10分、14世紀の修道院ペドラブレスの聖母修道院ですよ(^^)最後がスクール全景、その隣の国際寮にいます!
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他者との一致

これは平和を築くことに他なりません。平和とは単に争いがないことではなく、考え方や習慣、文化が違っても互いの違いを尊重し、相手から学ぶことで互いが豊かになっていくことです。そして、表面的には正反対に見える「多様性と一致」が生まれます。その土台は、一人一人が目の前の人と「一致」して生きることです。 ところが、未熟な人は「一致」のつもり…
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自分との一致

「現代社会は、果たすべき務めが多く、各種の問題が山積みになり、しばしば緊急の対策を要するので、様々な事柄に自分が分裂、あるいは分散してしまう危険が少なくない。また、多くの義務に束縛され、仕事に追い回されることも珍しくない」(第二バチカン公会議文書参照)。 誰でも、仕事に「追われる」と「忙殺」という言葉通り、心は死んだようになり、し…
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イエスと親しく話し合おう!-ルターの主張の見直し-

16世紀、ルターは教皇や司教、一部の聖職者の腐敗を教会に訴え出ました。しかし、門前払いをくらい、逆に教会の権威に従わない危険人物、異端的な司祭とされました。ルターには、教会が信者から神を遠ざけているように見えて、教会を邪魔と感じ始めました。そして、次第に教会なしで、信者が信仰によって直接神と結びつけば救われる、と考えるようになりました。…
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ザアカイ、降りてきなさい!ラザロ、出てきなさい!

イエス・キリストは、何かの恵みを与えるためだけに、この世に来たのではありません。ましてや、何かを要求するために来られたのではありません。赤ちゃんが母親の顔を見るために生まれてくるように、イエスは私たちと「出会う」ために来られたのです。ただ聖書を読んでイエスを知っているだけでは、本当に「知っている」とは言えません。それは単なる知識であって…
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イエス・キリストを探せ!

昔、「ウォーリーをさがせ」という絵本が流行りましたが、最近また出回っています。同じようにキリスト者は、教会の中だけでなく、仕事場や家庭、街の通り、社会の真っ只中でイエス・キリストを探さなければなりません。「探しなさい、そうすれば見つける」とイエス自身が語っておられるからです。そして、イエスを探さなければ、いつまでたっても神と出会うことは…
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主の洗礼-み心に適う人-

イエスは宣教を始めるに先立って、洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けました。その時、「これは私の愛する子、み心に適う者」と天から声が聞こえました。イエスは本性において父である神と同等ですから、今更「み心に適う人」と告げるのは不思議な感じがします。イエスの洗礼に秘密が隠されているからです。イエスは神であり、洗礼は必要ありません。しかし、…
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からし種の信仰とは?

新しい年を聖書の言葉で始めましょう!「一粒のからし種ほどの信仰があれば、この山に向かって『ここからあそこに移れ』と言えば、山は移るだろう。信仰があれば、あなたたちに出来ないことは何もない」(マタイ17.20)。 これは、イエスの有名な言葉ですが、「からし種の信仰」とは、何を指しているのでしょうか? 本物のからし種を見たことがあります…
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クリスマスと「死刑廃止」

今年、フランシスコ教皇は、死刑廃止をカトリック教会の正式の教えとして発表されました。クリスマスに似合わない話題に思えますが、救い主が生まれたことと深くつながっています。イエス・キリストは、そもそも闇の世界に光をもたらし、私たちの心の闇を追い払うために天からこの世に降りて来られました。それまで私たちは罪と死に支配されていたのです。私たち自…
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よろこびなさい♪

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」(フィリピ4:4) 待降節の第3主日は、聖パウロのこの言葉で始まります。しかし、「素直に喜べない」というのが私たちの偽らざる心境ではないでしょうか。毎日のように凶悪事件や様々な不正が報じられています。こんな社会に目をつむって喜べ、というのでしょうか?それなら、現実逃避であり、社…
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Rejoice!

The Third Sunday of Advent (Gaudete Sunday) “May you always be joyful in your union with the Lord.” The Third Sunday of Advent starts with these words by …
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信仰の入力と出力

「行ないの伴わない信仰は死んでいる」と言う有名な言葉が聖書にあります。ヤコボの手紙2章です。ここでは、信仰と行いが二つ並べられています。また、「祈り」と「行為」とも言われます。しかし、この二つは別々ではなく、切り離せない表裏一体の関係になります。植物が二酸化炭素を吸って酸素を出して生きているように、動物が酸素を吸って二酸化炭素を排出する…
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イエスは「この世」を救うために来た!

このタイトルを見て「何か変だな?」と戸惑った方はいませんか?キリスト教が最初に教えるのは、「イエスは人類を救うために来られた」ですね。「この世」ではなく「人類」です。しかし神が望んでいたのは、人間が神と和解するだけではなく、天と地のあらゆるものが神と和解することでした。つまり「この世」を救うことも神の計画の中に入っていたのです(コロサイ…
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教皇様が言う「出て行く」信仰とは?

賑やかな通りに面した窓を開け放って、両手を広げて「これが、私の最も気に入っている聖堂(祈りの場所)です!」と聖ホセマリアは新聞記者に答えました。オプス・デイの本部には、たくさんの聖堂がありますが、記者は「どの聖堂がお気に入りですか?」と質問したのです。誤解の無いように補足をしておきますが、けっして教会や聖堂を軽視した言葉ではありません。…
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「イエスの心を奪った人たち」(2)

「イエスは、どんな人々に心奪われ、感動されたのでしょうか?一番分かりやすい、象徴的な出来事は最後の場面で起こりました。イエスと共に十字架に磔(はりつけ)られた、あの「よい盗賊」と言われる人です。人生で悪事を重ね、とうとう十字架刑で死罪になりました。その苦しみの中で、自分の罪を認め、苦しみを受け入れ、イエスに信頼して、一つのことをお願いし…
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天草・崎津教会巡礼の旅「イエスの心を奪った人たち」

生命を懸けて信仰を守り通した殉教者は、「信仰の英雄」として人々からも称賛され、後世になっても尊敬を集めてきました。その陰に隠れて、「踏絵」を踏んで「転んだ」キリシタンも多くいました。彼らはイエス・キリストを「捨てた」という良心の呵責と、仲間を裏切ったという「後ろめたさ」を背負って生きました。それは、天国の栄光を受けた殉教者と正反対の…
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「正しい人」が救われるのではない!

「正しい人」が救われると考えられているかもしれませんが、イエスは「神のみ前に『正しい人』は誰もいない」と話されました。また、自分は「正しい人」だと考えて、「自分には罪が無い」という人は偽り者であって、その人は永遠の生命を受け継ぐことが出来ない、とも教えています。だから「正しい人」が救われるとは言えないのです。では、いったい誰が救われるの…
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還暦と悪霊

日本の伝統で、還暦祝いに赤い「ちゃんちゃんこ」を着るという習慣があります。日本では、昔から朱色は悪霊を追い払う力があると信じられてきました。伏見稲荷神社の鳥居が朱色に塗られるのも同じです。今では迷信と思われていますが、悪霊は今も働いています。教皇フランシスコは、「私たちを神から引き離し、仲違いさせようと常に試みている悪魔からの保護を願っ…
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「完全な者になりなさい!」

 前回と正反対みたいですが、これもイエスの言葉です。「天の父が完全であるように、あなた方も完全な者になりなさい」(マタイ5.48)。ルカは「完全な者」の代りに「慈悲深い者」(6.36)、ぺトロは「聖なる者」(手紙①1.16)と伝えています。「完全な者、慈悲深い者、聖なる者」いずれも難しそうです。いや、自分には不可能に思えてきます。この言…
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「子どものようにならなければ…」

「心を入れ替えて子供のようになる」、また「自分を低くして子供のようになる」人が、天の国に入り、天の国で一番えらいのである、とイエスは教えています。「子供のようになる」とは、具体的に何を指すのでしょうか?さらに、どのようにすれば子供のようになれるのでしょうか?ただ漠然と、子どものような天真爛漫で純粋で素直な心になることだ、と受け止められ…
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『いったい誰が救われるのですか?』(マルコ10章17-27)

金持ちの若者がイエスに近づいて尋ねました。「永遠の生命を受けるために何をすればいいでしょうか?」彼は日頃から幸せを求めて努力していました。その結果、財を築きました。さらに死んでからも幸福であるために、救われるために何をしたらいいか、知りたいと願っていました。そんな良い機会が巡ってきました。几帳面で努力家の彼はチャンスを逃しません。彼の性…
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「キリスト信者」から「キリスト者」」へ

教会文書の文言が「キリスト信者」から「キリスト者」へ変わったことに気づかれましたか?どちらも同じ意味ですが、感じ方や受け止め方が微妙に違います。「〇〇信者」と言えば、仏教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒などではなく、「キリスト信者」ですという意味になります。つまり、ある宗教組織に属している外的な身分を表しています。一方「キリスト者」と言えば…
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神は「与えて」から「求める」

目が見えない人を見て、使徒たちはイエスに尋ねています。「盲目なのは、この人のせいですか?それとも先祖の罪のせいですか?」これは、日本でもよく見られる「因果応報」の考え方です。良いことがあれば善行の報いと考え、悪いことが起これば罰だと考えるのです。ある少年が病気で目が見えなくなりましたが、本人は「ポルノ雑誌を見たせいだ」と親に言ったそうで…
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聖性-牛乳屋フアンの場合-

牛乳屋フアンは、毎朝早起きして、大きなミルク缶を荷車に積んで、村の家々を回って配達していました。天主堂の前を通りかかると、荷車を止めて、中に入って祭壇の方に向かってひざまずき、挨拶するのが常でした。「イエス様、おはようございます。牛乳屋のフアンです。」それだけ言うと十字架のイエスを後にして、また荷車を引くのでした。 これは実話です…
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