新型コロナウイルスと闘う心得10カ条

1.新型コロナウイルスの流行に伴う困難を前に「信仰の力、希望の確信、愛の熱意をもって」(フランシスコ教皇,2020年3月8日)立ち向かっていますか? 2.自分のことばかり考える誘惑に打ち勝ち、他者に起こるすべてのことを自分のことのように、真剣に受けてめていますか? 3.「一つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しむ」(1コリント1…
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新型コロナウィルスと戦う処方箋

「すべては役に立つ(Omnia in bonum)」(ローマ人への手紙8.28参照)。人類全体がウイルスとの戦いで苦しんでいます。いいことなんか一つもないと感じますが、苦しみも病気も、魂を強めて清めるために大いに役立ちます。私たちは神の摂理の中で生きているからです。全能の神は、悪から善を導き出す御方です。私たちの受け止め方次第で、悪を…
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四旬節第五主日「ラザロの復活」

主のご復活が近づいてきました。典礼は一足先にラザロの復活を取り上げて、死から生への「過ぎ越し」を黙想します。私たちは、地上のはかない命から天国の永遠の生命へと過ぎ越します。さらに世の終わりには、栄光の体と合わされて本当に復活するのです。信じられないほど偉大なことですね。これほどのことを信じているのに、死者が生き返ることさえ信じられな…
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本気で信じ、本気で生きる

夫婦、親子での本気の対話が少なくなっています。たとえば、子どもの進路について、父親、母親、本人がバラバラの考えを持ったまま、各自が別個に先生に相談するのです。本来は家庭で話し合って決めることを教師に調整を押し付けています。家庭内に波風を立てることを恐れて、お互いが本音を打ち明けていません。反対すると関係にひびが入る、意見を言うと傷…
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本当の犠牲とは・・・?-四旬節を生きる-

現代社会は便利で快適な生活が当たり前になっています。豊かになり、何かを我慢したり分け合ったりする体験が少なくなりました。苦しいこと、辛いことは不幸だと考えられて、「犠牲」という言葉が死語になりつつあります。だからこそ、キリスト者は社会の流れに逆らって犠牲を真剣に生きることを大切にしたいと思います。「犠牲の精神」は人間として成長す…
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楽しいグエル公園

ガウディが手掛けた集合住宅でしたが、奇抜すぎて買い手が付かず、公園として整備され、観光の人気スポットになってますよ★ おとぎ話に出て来そうなお屋敷です! ガウディらしい柱の構造です★ 遊び心がいっぱいの陶器製ベンチ!左奥にサグラダ・ファミリア教会⛪が見えました。 優美な曲線のデザインが特に目を引きますよ★自然に直線はないので、曲…
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バルセロナの夜

バルセロナは南が地中海に面し、周囲が山に囲まれたきれいな街です。北の山の上に大きな教会⛪が建っています。その頂上に手を広げたイエス像が街を見守っています!霧でぼんやり見えていますネ! バルセロナの人々の信仰の証です★ この山は、ティビダボ山と呼ばれます。お前にやる!という意味で聖書の言葉ですネ。悪魔がイエスに美しい街を見せて、俺に従…
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サクラダファミリアも春ですね

ガウディ没100 周年を迎える2026年完成を目指して急ピッチで建築がすすんでいます。円錐形の外観、装飾、ステンドグラスの光、すべてが神と人と自然の調和を表現しています! 堂内は森のイメージ。菖蒲の花が門を飾ります!葉っぱと森の虫たちが出迎えてくれましたよ★ イエスの塔が完成すると高さ172.5mの世界一高い教会になりますヨ*\0/…
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バルセロナは春(1)

無事にバルセロナに到着です。早速、きょうから研修スタート!ミサ、説教の後、ビジネススクールIESEでケーススタディやワークショップしますよ。午後は観光予定です。泊まっている学生寮です! 聖母像が見送ってくれますよ★ IESEのキャンパス風景。パンフレットみたいにきれいに手入れされてますよ★ここで講話しましたヨ★仕事の成功と人生の成功…
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信仰の里(2)

頭ヶ島教会堂から見た五島灘、風と雨で大荒れでしたよ★ ホテル、マルガリータから車で5分。青砂が浦教会堂。鉄川与助設計施行の傑作ですよ★教会堂内部。コウモリ天井が美しい曲線美を奏でてますヨ★大曽教会堂。海に向かって立つ祈りの灯台みたいですね! 鯛の浦教会堂正面玄関。教会堂内部。ステンドグラスの柔らかい光が心和ませてくれました★
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イエス、律法を完成する

 生まれて初めて上五島行ってきました!仲知教会の主任神父様に頼まれて、主日のミサを立てるためです。そこは米山教会と江袋教会が巡回教会として属していて、そこでもミサをしました。そこは大阪の前田万葉枢機卿の出身地で有名です。また亡くなられた島本要・長崎大司教もここの生まれです。小さな教会ですが偉大な人が出ているのですね。やはり、教会には祈り…
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人生、何を残すか?

 選手としても監督としても一流だった野村元監督が亡くなりました。84歳、偉大な記録と共に人々の記憶に残る人生でした。彼は人生について興味深い言葉を残しています。「財産を残す人生は下、仕事を残すは中、人を残すは上」。多くの日本人が冨を目指して努力していますが、そんな人生は成功しても下である。立派な仕事をして後世に残す方が良い。例えば、法隆…
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主の奉献、私の奉献

 主イエスの誕生から40日目、マリア様はヘブライの民の伝統に従って、主イエスを神殿に奉献しました。ユダヤ教では、初めて生まれた子は神のものであり、神に捧げるものと考えられていました。神に捧げた子を「取り戻す」ため、神殿に犠牲(いけにえ)をささげました。それを「あがない」と言います。ところで、イエスは生まれる前から神の子であり、今更、神殿…
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信じる力「26聖人の奇跡」

 マルコの福音書には、病人が癒される奇跡がたくさん登場します。それを読んで、「作り話じゃないか?」「大げさに書いているのでは?」と疑う人も多いでしょう。しかし、奇跡は今も起こっています。フランスの「ルルドの泉」には毎年500万人が訪れて、怪我の治癒や病気の奇跡的回復を祈って願いが叶っています。それを疑って、インチキを暴露してやろうと、後…
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「召しだし」神に選ばれること!

 神に特別に選び出されて、特別な使命を受けることを、昔から「召しだし」と呼んできました。聖職者になる、修道者になる、創立者になるなどを指していました。何にも選ばれなかったキリスト信者は、ただの信徒というわけです。確かに「選ぶ」という言葉は、選ばれない人がいることを前提としています。選ばれる人と選ばれない人を分ける働きがあります。しかし神…
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一期一会(いちごいちえ)

 倒産寸前だった日産の業績を短期間でV字回復させ、日本で一躍有名にカルロス・ゴーン氏。凄腕経営者として高く評価され、人々の憧れの的になりました。その姿は輝いて見えました。ところが、不正蓄財で会社から訴えられ、法をくぐって密出国して、再び注目の的になりました。社員とはかけ離れた高額報酬を受け取りながら、影で更なる不正と思われる報酬を受けて…
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本気で生きる、本気で祈る

 ラグビーワールドカップが日本で開催されました。決勝トーナメント進出を懸けて、日本とスコットランドが激突しました。観た人も多いでしょう。特にラスト10分の戦いは力の限界を越えた「死闘」という言葉がピッタリでした。その姿を見て奮い立った人もいたでしょう。私も、その一人です。この人たちは「本気だ!」と伝わってきました。「まじめに頑張る」だけ…
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手を抜かない生き方

 本校の卒業生でテニス部の大先輩に、堀晃大さん(36歳)がいます。NTT西日本ソフトテニス部監督です。今年、日本リーグで優勝して前人未到の10連覇を成し遂げました。彼は一つの言葉を心に刻んで練習に励み、指導に当たっています。それは中学時代にテニス部監督から言われた「自分が持っている力を、今日惜しまずに出し切れ」という教えです。人間の心の…
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神様に愛されている!

「本当ですか?私はまったく神の愛を感じません」という人も多いかもしれません。それは理解できます。幼い子が、親から愛されていると実感できないのに似ています。成長して初めて「親から愛されていたな」と実感できるのです。神の愛を感じるまで、今少し信仰が成長することが必要かもしれません。しかし、たとえ愛を感じなくても神の業を知り、それについて考え…
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初心になる!

 「初心、忘るべからず」これは、世阿弥が『風姿花伝』の中で能の心得として書き残した言葉です。たとえベテランになっても、けっして馴れっこにならないようにという戒めであり、また習熟した事柄に対しても「初めて」向き合うかのように心掛けよ、という教えです。ベテランの人も最初は初心者でした。自分の持っている知識、経験、才能、感性、あらゆる力を総動…
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「ハズレ」は「当たり」ーすべては善であるー

学期に一度、小中高、全員が集まり、神のみ前で一つの心で祈ることは価値があります。古い話になりますが、本校設立にあたってオプス・デイ創立者の聖ホセマリアはたくさん祈り、犠牲を捧げました。この学校は神が望んだ学校です。その望みが実現するために神の恵みが必ずあります。それは私たちを飛び越えて働くのではなく、私たちの必死の努力を通して実現するも…
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お正月とキリスト教

あけましておめでとうございます。お正月は日本の文化が詰まった季節行事ですが、意外にキリスト教と重なっています。それは聖徳太子が「厩戸(うまやどの)皇子」と呼ばれたのに似ています。お正月に行われる習慣は、江戸時代に始まり庶民に定着したと言われていますが、その起源と由来を見ていきましょう。  「初日の出」、これは「ご来光」とも呼ばれる…
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神のために生きる-聖家族にならう-

主のご降誕が訪れました。いっしょに馬小屋を訪れましょう。マリア様は、生まれたばかりの乳飲み子イエス様の世話に係りっきりです。ヨセフ様は、イエス様とマリア様を見守り、火を焚いて暖を取り、闇を明るく照らし出します。家族のことで頭がいっぱいです。そしてイエス様は、神でありながら天地万物を創造した力を捨て無力になり、全知のお方が言葉も知らな…
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続・天国の最終試験-クリスマス編-

 小学一年生の女の子が夢を見ました。「私は天国の学校で勉強していました。ある日、ひげを生やして杖をついた校長先生が現れました。神様かな…。みなさんは、よく学びました。いよいよ最後の試験です。今から地上の世界に一人ずつ送ります。いろんな問題が起こりますが、それをみんなで力を合わせて、見事に解決したら合格です。そして、天国に戻って来て、…
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神は人間の手を通して働く

 「恵みの雨」と言われるように、恵みは天からもたらされます。その恵みの水が大地の隅々にまで運ばれるのは、山や森や小川などの働きのお蔭です。同じように、神の恵みが一人一人に届くために、私たちが協力しなければなりません。聖母マリアのエリザベト訪問の場面を考えてみましょう。主のご降誕を控えたミサで朗読されます(12月21日のミサ)。「マリアは…
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「誰のために生きるのか?」

昨日、アフガニスタンで現地の人々のために井戸を掘ったり用水路を作ったりして、農業支援を通して貧しい人々の自立に貢献してきた中村哲医師がテロの銃撃で死亡しました。1984年からパキスタンで治療や医療教育をするNPO活動をスタートさせ、2000年にはアフガン東部一帯で大干ばつが起こったのをきっかけに水源確保も始めました。「土地を緑化すれ…
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教皇様からの宿題「フルカラーの社会をつくろう!」

 教皇様は、青年との集いで現代社会の矛盾を指摘されました。多くの若者は社会との軋轢に苦しみ、生きづらさを抱えています。「自分は誰からも必要とされていない。誰からも愛されていない」と感じ、生きる力を失っています。なぜでしょうか?今の日本社会は「有能さ、生産性、成功」ばかりが強調され、青年たちにそれを求めています。そのため常に競争にさらされ…
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生きたイエスをお迎えする

 フランシスコ教皇の日本司牧訪問は予想以上に盛り上がって終わりました。特に長崎のミサは印象的で記憶に刻まれました。朝から雷が鳴り、小雨の予報に反して土砂降り、しかも傘は禁止で暗い気持ちになっていましたが、昼前から雨が上がり、ミサが始まる頃には雲が晴れて日も差し始め、青空が広がり、うっすら虹も架かり、神々しい雰囲気になりました。しかし、教…
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「祈り」はコミュニケーション

 祈りは神と人間が「コミュニケーション」することです。神と人間が語り合い、心と心がつながり、相手(神)を自分(人間)の中に迎え入れるのです。これは人と人のコミュニケーションと同じプロセスをたどります。「出かける」「出会う」「語り合う」「共に食事する」「受け入れる」そして、愛するのです。イエス・キリスト以前の時代は、祈るとは掟を守ること、…
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フランシスコ教皇の福音宣教

フランシスコ教皇の日本司牧訪問が無事終了しました。教皇様はイエスの福音を携えて日本に来られました。神を知らない人々に神の愛を届けるために来られました。出会った人々は、その謙遜で率直な人柄に魅了されました。人々を引き付けた力、源泉は何だったのでしょうか。イエス・キリストの教え?カトリック教会の組織力?教皇自身の性格?いずれも大切なこと…
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信頼関係が平和を築く

 フランシスコ教皇は日本の司牧訪問について「信者を増やすためではありません」と公言しています。キリストの福音を持って来るためでした。福音には人々を惹きつける光があります。温かさがあります。教皇様と出会った人たちは、その誠実で温かい人柄に触れて、身を惜しまず人々に奉仕する姿を見て、単純率直で力強いメッセージを聞いて、心ひかれました。感動し…
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教皇、広島からの平和メッセージ(速報)

教皇の日本司牧訪問 教皇のスピーチ 広島、平和記念公園 2019年11月24日 「兄弟、友人のために、私は言おう。あなたに平安」(詩編122.8)。 いつくしみの神、歴史の主に向かって、この場所から目を天に上げましょう。生と死、敗北と再生、苦しみといつくしみの場所から。 ここで、たくさんの人々の夢と希望が、一瞬の閃光…
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教皇、長崎から平和メッセージ

速報で、要約をお伝えします。 人々は心から世界の平和と安定を望んでいますが、国際社会は核の脅しと均衡による偽りの平和と安全で人々を欺いています。 今こそ、世界の私たちが信頼に基づく平和を作る時です。 地球の資源が兵器のために使われ、ますます人々を不幸に追いやっていますが、本来、社会の発展と幸福のために使用されるものです。 憎しみ…
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教皇来日記念連続講話(4)「本当のコミュニケーション」

SNSのおかげで、さまざまな人との交流が便利になりました。インターネットの発展と普及で、対話と交流が盛んになったと勘違いしやすいのですが、実際は真逆の現象が広がっています。フランシスコ教皇は、そのことに警鐘をならしています。本来、コミュニケーションとは人と人が触れ合うことを指しています。心と心が通じて、絆で結ばれることです。ところが、便…
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「橋をつくるために」

「わたしたちの模範であるイエス・キリストにならって、橋を架けねばなりません。」フランシスコ教皇様がお気に入りのフレーズです。現代世界は壁を築いて自分の冨や地位や権利を守ろうとして、他者に対して攻撃的になり無関心になっています。他者と関わるのは自分に有利であり、利用する価値があるからです。世界の中心が経済、つまりお金になっていて、人間の幸…
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教皇来日記念連続講話(2)『すべてのいのちを守るため』

『すべてのいのちを守るため』~PROTECT ALL LIFE~これが教皇来日のテーマです。環境問題を扱った教皇様の文書『ラウダート・シ』巻末の祈りから取られています。フランシスコ教皇は、この言葉にどんな思いや願いを込めておられるのでしょうか?それは身近で切実な問題です。人間の命、特に弱い者や小さな命に危険が迫っています。幼児の虐待、妊…
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教皇来日特別連続講話(1)『あなたと「出会う」ために』

38年ぶり、二回目の教皇来日を迎えるに当たって、その意味を深く考えるために4回シリーズで特別講話を始めます。 みなさん、日本のマスコミでは「ローマ法王来日」と表現されていたので、後白河法皇のような「時の権力者」のイメージを持った人もいたのではないでしょうか?実際は、多くの人から「パパ様」と親しまれる身近な存在です。同時に、教皇様が…
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イエスと結ばれる「くびき」

教会に真面目に通う人が癌になって、余命が数か月と宣告されました。その人は神に文句を言いました。「永年、一生懸命に祈ってきた答えがこれですか?私は、耐えられません。あなたは恵みを下さる代わりに苦しみをくださるのですか?」そして、希望を失い、祈る気力も無くなりました。そして、相談に来られました。「神は私に背負いきれない重荷を与えました。私は…
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聖ホセマリアの教え 「天と地をつなぐ」 -信仰と理性は私の中で一つになる-

1789年(イナワクすぶる)に始まったフランス革命は、正義、自由、博愛のための闘いと考えられていますが、実際はカトリック教会に反対する運動でした。それ以降、信仰は理性と相入れない矛盾するもの、宗教と科学は対立するという構図が出来上がってしまいました。本当は、宗教と科学は互いに助け合い補完する関係で社会を築き、信仰と理性は協力して人間を完…
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人間関係を聖化する

最近、「聖性」という言葉をよく見かけるようになりましたが、実際のところ良く分からないというのが実情かもしれません。聖なることを追求することですから、信心深くなることに思えます。祈りと犠牲を指しているみたいです。でも、それだけではありません。日常生活と仕事を通して、「イエス・キリストに似た者になること」を指しています。そして、聖性こそが「…
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取り次ぎの祈り-奇跡は起こる-

みなさんのテニス部の先輩で、M君という人がいます。O先生の教え子です。テニスがとても上手でした。先月、そのお母さんからお願いごとをされました。足が悪くて車椅子で生活されていますが、家族や周りの方に迷惑をかけているので、足が治るように祈ってくださいと頼まれたのです。医者からは治らないと言われているのですが、奇跡が起こると言われるフランスの…
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信仰を「告白する」聖霊

復活したキリストに出会って、使徒たちも「復活」しました。十字架を恐れて、臆病になって逃げて、「イエスを知らない!」と裏切ったペトロは、「主を愛しています!」と三回繰り返して告白しました。「信じない」と頑固に言い張ったトマスは「私の主、私の神」と信仰宣言しました。イエスの死に絶望して、故郷エマオへ帰って行く弟子は、希望にあふれて神の都へ戻…
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祈りは人間の証明

発掘された人骨が人間のものか、類人猿のものか、それを識別するための一つが、「祈り」です。死者を葬った形跡があれば人間です。たとえば、人骨と一緒に花粉や種が大量に見つかれば、亡骸と一緒に花を手向けたことが分かります。あるいは、魂が抜けださないように体勢が不自然に窮屈な状態で見つかれば、これも祈りの跡です。いずれも死後の世界を考えている証拠…
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あなたの人生を始めよう!

みなさんは、私が神父だから神様の話をすると思っているでしょう。そうではありません。その逆です。神様を信じて、神様について伝えたいから神父になったのです。先生が教えるのは、先生だから当たり前と思うでしょう。それも逆です。その人は、ある日、ある時、教師になろうと決心したのです。決心させる何かが心の中に起こったのです。みなさんにとって親が親な…
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令和へ、祈りを引き継ぐ

4月30日、天皇退位に伴い、最後にお言葉を述べられました。あらためて天皇が国民に寄り添い、誠心誠意、国民の幸せだけを思って生きてこられたことが明らかにされました。本当に有難いことです。国の代表が自己を忘れて国家と世界の平和を心から願い、人々の幸せだけを考えて祈っている国は、世界のどこを見ても、どの時代を探しても、なかなか見当たりません。…
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復活したイエスは使徒たちと食事する

11人の使徒たちは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵をかけて家に隠れていましたが、そこへイエスが出現されました。平和の挨拶をして、最初に話された言葉が「ここに、何か食べ物があるか?」でした。一切れの焼いた魚を差し出すと、皆の前で食べられました。8日目に、同じ場所で2回目の出現がありました。使徒への三回目の出現は、がリラヤに戻ったペトロたちが湖へ漁…
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令和元年、キリストは生きている

大会社の社長が社員に変装して職場に潜入、社員の働きぶりや現場の様子を探り、その後、優秀だった社員を社長室に招いて種明かしする、アメリカの人気番組です。これが日本でも評判になっています。私が偶然に見たのは、ハンバーガーの大手チェーン店の社長が、アルバイトのおじいちゃんになって、お店で働くというものでした。初日は、注文を取るのも手間取り、…
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復活節を如何に生きるか?

誰もが四旬節は犠牲の時だと知っています。しかし、復活祭を祝うと全てが終わったように感じて、気持ちが緩んでしまいます。復活祭を堺にイエスがどこか遠くへ行ってしまったみたいです。「イエスは復活して今も生きておられる!」霊降臨までの五十日間、復活節が続きます。この期間をどのように生きるか、これこそが信仰生活の中心になるべき事柄です。犠牲の期間…
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聖金曜日、十字架の礼拝

 ヨハネ福音の受難の場面が読まれました。今、私たちは聖母マリア、使徒ヨハネ、聖なる婦人たちと共にカルワリオの丘に立っています。私たちだけではありません。今日、世界中の十数億人というカトリック信者が一緒に立っています。2000年前のことを思い出しているのではありません。十字架のイエスと同じ時間を過ごしているのです。イエスは、本当に十字架の…
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