年間24主日「度を越す神」

 主人はブドウ園で働く人を探して、送りました。一日一デナリオの約束です(これは一日の労働賃金に当たる単位です)。ところが、一日中働いた人も、一時間だけ働いた人も、みな平等に一デナリオを頂きました。人間的な見方をすれば、前者の人の不平に同情します。一時間の人よりもっと働らいたから、もっと貰えると期待して当然だからです。人間の見方や基準…
コメント:0

続きを読むread more

ゆるすことは、愛すること

 大切なものを奪われたり、面子を汚されたり、侮辱されたり、そんな時、人は「絶対ゆるさない!」考えます。誰もそんな状況を望んだわけではありません。自分に襲い掛かった不幸に思えます。被害者です。そんな思いが心を縛って、まるで毒のように心を蝕んで喜びや幸せ台無しにしてしまいます。それでも、ゆるすことが出来ません。「ゆるせない」とは、どんな…
コメント:0

続きを読むread more

年間第19主日「水の上を歩く信仰」マタイ14.22-33

「清水の舞台から飛び降りる」。22歳で洗礼を受けた時の心境は、まさしく「これ」でした。「神の手に人生を委ねることが一番」と頭で分かっていても、いざ実行しようとすると、不安や心配が襲って来るのです。いつか、どこかで決断しなければ、いつまで経っても始まらない。迷ったまま人生が終わってしまう。それではいけない。そして「えいっ!」と飛び…
コメント:0

続きを読むread more

「流れ」に逆らって生きる

 岸辺に立って川の流れを見れば、どちら側が海か、すぐに分かります。流れに身を任せて川を下っていけば、必ず海に出ます。反対に川を遡って行けば、必ず水源地のある山奥、山の高所にたどり着きます。これと同じように、心にも「流れ」があります。一つは、「低きに流れる安楽や欲望」の流れ。もう一つは、「高きを目指して、流れに逆らって上る、努力、…
コメント:0

続きを読むread more

年間18主日 パンの『奇跡』から聖体の『秘跡』へ(マタイ14.13-24)

イエスは数々の奇跡をなさいました。水の上を歩く。パンを増やす。死者を生き返らせる。病気を治す。嵐を静める、などなど…。いずれも自然の法則を超えた出来事です。だからこそ、そこに自然を超えた神の力が働いた確かな証明になります。でも、これらが歴史的な事実だと信じる人は多くありません。あなたは信じますか? 信仰熱心な人は「今も奇跡…
コメント:0

続きを読むread more

天国の入り口は?

江戸時代のことです。白隠禅師という有名なお坊さんがいました。そこへ海道一の弓取りと名高い武士が訪ねてきました。誰に聞いても極楽や地獄のことをはっきり教えてくれる人がいませんでした。「本当に極楽や地獄はあるのだろうか?」この疑問に答えを求めて来たのです。山奥のお寺の山門を潜って玄関に着いて門を叩きました。ドンドンドン!返事がありま…
コメント:0

続きを読むread more

第19主日「神の国」と「神の業」マタイ13.44-46

今日のミサの福音は、神の国のたとえ話です。神の国とは天国と同義です。天国とは、死んでから行く幸福なところと漠然と考えがちですが、このたとえ話では、もっと積極的に求める態度、強い望みが強調されています。天の国は畑に隠された宝であり、高価な真珠です。じっと待つだけでは手に入りません。自ら買い求めなければいけません。でも、とても高価で中途…
コメント:0

続きを読むread more

年間16主日「よい麦と毒麦」‐悪と向き合う姿勢-

ミサの福音書で「よい麦と毒麦」(マタイ13.24-30)のたとえ話が読まれました。主人に命じられた人が畑によい麦の種を播きましたが、芽が出て育つと毒麦が混ざっていました。「抜いてしまいましょうか?」と主人に尋ねると、「そのままにしておきなさい。収穫の時に分別して、毒麦は集めて焼かれて苦しみ、よい麦は集めて倉に納められる」と主人は答えまし…
コメント:0

続きを読むread more

年間15主日「種まき」のたとえ話

 『農夫が種まきに出かけた。ある種は道端に落ちたので、すぐ踏まれてしまった。ある種は石地に落ちたので、日が照ると枯れてしまった。ある種は茨に落ちたので、成長すると塞がれてしまった。ある種は良い土に落ちて、すくすく育ち100倍もの実をつけた』(マタイ13章)。今日のミサで読まれた福音書です。イエスご自身が、この種は「みことば」であ…
コメント:0

続きを読むread more

障害者は社会の宝物

 世間は障害者に対して無関心で、自分とは関係ないと思っています。出生前検査で染色体異常(ダウン症)が見つかると、その殆どが中絶を選択している事実からも、「受け入れたくない」という思いが伝わってきます。心ある人は「助けてあげたい」「手伝ってあげたい」と思っているでしょう。しかし「なぜ神様は障害者が生まれるようにされたのか、分からない」…
コメント:0

続きを読むread more

障害者は預言者

先日、障害者施設で「すべての命を守る社会を創る」という講話をしてきました。その時の職員の方々の感想をいくつか紹介しましょう。 ◆「今日、学んだこと(障害を持つ子どもを受け入れること)は良く分かります。実体験だからです。逃げずに受け入れて良かったと心から思います。私の娘は我が家に愛を運んで来てくれました。本物の愛です。」(勇気ある決…
コメント:0

続きを読むread more

聖ホセマリアの教え「一隅を照らす!」

  オプス・デイ創立者・聖ホセマリアは、「聖性への普遍的召し出し」の道を切り開き、教会の歴史に新しいページを開きました(『主のことば』ベネディクト16世教皇48番参照)。社会人の信徒が、家庭生活や仕事を通して神と一致し、聖なる人になり、永遠の幸せに入ることが出来ると教えました。この教えは第二バチカン公会議で取り上げられ、正式に教会の教…
コメント:0

続きを読むread more

恐れるな !(年間第12主日)マタイ10.26-33

「主を恐れることは智恵の初め」(箴言1.7)と聖書は教えています。詩編94番は、神を恐れない愚か者が「主は見ない、神は気付かない」と悪事を重ね、人生の最後に神から滅ぼされると記しています。だから、神を恐れることは智恵の初めです。神は人間を裁く力を持つ方です。その力を知らないことは無知であり、その方を恐れないのは愚かです。その方は…
コメント:0

続きを読むread more

;">「神のみ旨」を読む

 「み旨」とは、心に秘めた思いを愛する人と共有することです。だから、医者が患者を治し、教師が生徒に教えることは、打ち明けるまでもなく万人が知っているので、み旨とは言いません。神が罪を裁き、善行を祝福することも、同じように当たり前です。また、神が罪を望まず、善を望んでいることも自明です。しかし、神が私たちのことを「どう思っているか…
コメント:0

続きを読むread more

当たり前の聖体

日本では、長い間「水と平和はタダ」と思われていましたが、最近はお金を出して水を買うことが普通です。当たり前のことは、なかなかその素晴らしさに気づかないものです。たとえば、言葉です。声という空気の振動を通して考えや思いが伝わります。物質がどこかで非物質に変換しているのです。声は一瞬で消えてなくなりますが、伝わった意味は相手の頭に残…
コメント:0

続きを読むread more

再び、正義について語ろう!

まず、個人と個人の関係で考えましょう。自粛しない人々に対して、正義感から自主的に取り締まる「自粛警察」が話題になりました。誰かが法を護らないからといって、個人的にその人を裁くことが出来るでしょうか?アニメや水戸黄門などの勧善懲悪ドラマでは、正義の味方が登場して悪者をやっつけます。でも、実社会で各自が正義の味方みたいに振舞ったら大…
コメント:0

続きを読むread more

三位一体「神の顔」を見ること-

 旧約時代の人々は、神の顔を見ることが出来ませんでした。神の顔を見てしまったモーゼは「私は死んでしまう」と恐れています。神の遣い(天使)はしばしば現れましたが、姿は見えても顔は見えませんでした。神や天使は聖なる方で、人間は罪に穢れているので見ることが許されない、相応しくないと考えられていたのです。「顔を見る」とは仲間と認められる…
コメント:0

続きを読むread more

小さい正義、大きい正義

最近、SNSで繰り返される誹謗や中傷、コロナ自粛に関する「自粛警察」など、自称「正義の番人」が増えて、社会問題になっています。そこで、「正義とは何か?」について考えてみようと思います。    イエスは、ゆるすことの大切さを弟子たちの心に刻み付けるために、一つのたとえ話をされました。「ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとして、…
コメント:0

続きを読むread more

使徒信条「聖霊を信じます」

ヨハネ20.19‐23「聖霊を受けなさい」(聖霊降臨2020年5月31日)  神は人間をご自分の家族に紹介してくださいます。自分の家に人を招待して家族を紹介するのは本当の友達になった時です。家族とは自分のプライバシーに属するもので、その中にある親密さや信頼は大切にしたいと思うからです。神様も同じようにされました。長い旧約の時代…
コメント:0

続きを読むread more

「主の昇天」-行いが福音になる-

 私はご昇天のキリストが大好きです。柔らかい優しい表情で私たちを見ておられます。非常に穏やかな雰囲気で、心の隅にあることをふっと話しかけることが出来そうです。使徒たちは天に昇られるイエスの様子を心に焼き付けていたはずです。そして祈る時には、イエスの視線をいつも思い返していたにちがいありません。あの慈しみ深いまなざしです。天に昇る時、…
コメント:0

続きを読むread more

主の昇天『イエスに代わって働く』

 使徒たちはイエスを見送ります。天を見上げ、名残りを惜しんでいました。見えなくなっても、ずっと空を見つめていました。すると天使が現れて、「しっかりしなさい!今度はあなたたちがキリストの代わりに働く番ですよ!さあ、自分の場所に行ってイエスの教えを述べ伝えなさい」と励ましました。その時、使徒たちは自分たちがしないといけないと感じました。…
コメント:0

続きを読むread more

小学校ミサ説教「見えないのに、見えるイエス」

 イエス・キリストは、最後の晩餐で不思議なことを言われました。「しばらくすると、あなたたちは私を見なくなるが、しばらくすると再び私を見るようになる」。使徒たちは、イエスが何を言っているか、意味が分かりませんでした。「見えないのに見えるモノ、なーに?」という、なぞなぞみたいです。みなさんも分からないでしょう。はい、「見なくなる」という…
コメント:0

続きを読むread more

五月の黙想「人生は物語になる」

 誰も偶然に生まれた人はいません。親に望まれ、愛されて生まれてきました。また、神に望まれ、愛されて命を頂きました。たとえ親から愛されないとしても、全知全能の神は、私たちが神と出会い永遠の幸せに入るように準備されています。私たちの命は神の愛で始まり、神の愛が身を結んで終わるようになっています。人生は、見えない神の愛で一本につながっ…
コメント:0

続きを読むread more

復活第6主日「イエスは教会と結婚した」

 男性アダムは、自分の「あばら骨」から造られた女性エバと出会い、結婚しました。同じようにイエスは、自分の「わき腹」から流れ出た血と水で生まれた「教会」と結婚します。教会とは、水と霊で洗礼を受けた私たちのことです。だから、イエスは夫が妻を愛するように教会を愛し、私たちを愛しています。そして、妻が夫を慕い従うように、教会はイエスに従い、…
コメント:0

続きを読むread more

みなが一つになりますように!

 「みながひとつになりますように。彼らも私においてひとつになりますように。(・・・)私たちがひとつであるように、彼らもひとつになりますように」(ヨハネ17,21-23)。イエスは天の父にこう祈りました。天国ではすべてが一つになります。「ひとつになる」とはどういうことでしょうか?父も母も兄弟も友人も知人も、すべてがひとつになることがで…
コメント:0

続きを読むread more

「いのち」を与えた人の話

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15,13)。最後の晩餐でイエスはこう教え、ご自分で模範を示されました。嫌々、仕方なしに殺されたのではなく、自ら望んで、すすんで死を受け入れるのです。「あなた」のことをとても大切にしているという命がけのメッセージです。それだけではなく、命を捨てることによって「豊か…
コメント:0

続きを読むread more

復活節第5主日「イエスの業を行う人・キリスト業者」

 聖ホセマリアは心の中で「業(わざ)が愛であって、よい望みではない」と神が語りかけるのを聞きました。それは、熱心なシスターたちに聖体を授けている最中でした。心の中で「主よ、私はこのシスターたちより、もっとあなたを愛しています」と語りかけた直後の出来事でした。今日の福音でもイエスは同じことを言われています。「私の言うことを信じない…
コメント:1

続きを読むread more

新し命を生きる

 イエスの復活は、人間の新しい命の始まりです。イエスは人として十字架で死に、人として新しい命に復活しました。神は死なないし、復活もしませんから。死んで復活するために、わざわざ神は受肉して人の子としてマリアから生まれたのです。イエスが復活第一号。そして第二号が聖母マリア。それに私たちが続きます。ただし、それは世の終わりの話ですが…。イエス…
コメント:0

続きを読むread more

「いのち」をもらった人の話

5月2日から6日まで、家にこもって長い黙想会をしていましたが、さっき終息(笑)しましたよ(^^)/。景色は何も変わらないけど、すべてが鮮やかに見えます。新しい命をいただいたみたいです!  心に残った一人の青年の話をご紹介します。  先天性の心臓病で治療法はない。そんな障害をもって生まれた男の子がいた。幸い18歳になるまで障害…
コメント:0

続きを読むread more

聖母に感謝の祈りを捧げる

 当日、夜になって姉に電話をしました。この出来事を伝えるためです。「手術は絶対に大丈夫だから、心配しないで!安心していいから!」と強調しました。理由を説明しましたが、姉は信者ではないので半信半疑でした。それでも祈りを感謝してくれて、手術に向けて最悪も覚悟は出来ていることを打ち明けてくれました。  手術前日になって姉から再び電話…
コメント:1

続きを読むread more

聖母の取次ぎで助けられた!

 五月は聖母月です。新緑がみなぎり、霊的ないのちを与える聖母の生命力を思い起こすからでしょうか?教会の伝統です。1917年、ポルトガルの片田舎ファティマで三人の羊飼いの子どもたちに出現されたのも五月でした。それは、人類がもっと聖母を讃え、また祈ることをお望みだからです。聖母マリアに祈りを聞き入れられた私の経験を紹介します。  …
コメント:0

続きを読むread more

聖母に感染終息を祈ろう

フランシスコ教皇は、コロナウイルス流行に苦しむ世界を前にして、聖母マリアに終息を祈るように全信者に向けて手紙を出しました。そして、特別の祈りも添えられました。紹介します。 聖母への祈り2  「聖なる神の御母よ、御保護に寄りすがり、御助けを求めます。」  全世界を揺さぶる、この苦しみと不安に満ちた劇的状況の中で、神の御母、わ…
コメント:0

続きを読むread more

聖母月「ロザリオを唱えよう」

 教皇フランシスコは、間もなく訪れる五月の「聖母月」に、家でロザリオの祈りの素晴らしさを再発見するよう、すべての信者に向けて書簡をおくられた。 親愛なる兄弟姉妹の皆さん  五月はもうすぐそこです。五月には、神の民は特別な熱心さをもって、おとめマリアへの愛と崇敬を表します。家において、家族で唱えるロザリオの祈りは、この月の…
コメント:0

続きを読むread more

復活第三火曜日「復活に始まり、復活に終わる」

 復活節になって第一から第三の主日ミサでは、復活したイエスとの出会いの場面がり上げられます。イエスを愛していたマグダラのマリアと聖なる婦人たち、疑い深く信じなかった使徒トマ、希望を失ったエマオの弟子たちです。そして、次は「あなた」が出会う番ですよ、と典礼は私たちを導いています。イエスと出会った人々は、絶望は希望に、疑いは信仰に、…
コメント:0

続きを読むread more

復活第三主日「イエスは生きている」

 小学5年生の時、家のおばあちゃんが亡くなった時の状況を鮮明に覚えています。朝方、おばあちゃんの様子を見に行った母親が、血相を変えて父親の所へ行って、「おばあちゃんが息をしていない!」と告げたのです。こんな時、いきなり「亡くなった」とか「死んだ」という言葉は出てこないものです。見たままを率直に語るのです。いくつもの現実を重ね合わ…
コメント:0

続きを読むread more

復活第二金曜日「主は復活された、アレルヤ」

『ひとり子の十字架の死によって、わたしたちを悪の支配から救い出してくださいました」(4月24日ミサ集会祈願)。  「主イエスが復活した」、これはキリスト教信仰の根本であり中心です。同時に、信じるための大きな障害にもなっています。神を神様として崇め、礼拝することは難しくありません。心の自然な動きです。しかし、死者が蘇ったというこ…
コメント:0

続きを読むread more

今の私たちが未来を創る

 コロナウイルス流行で、いろんな人々が不安な状況に追い込まれています。この事実を前にして、二つのことが起こっています。一つは、人の不安に付け込んで「コロナ詐欺」や、閉店した飲食街で「空き巣泥棒」が起こっています。これからもっと増えそうな予感がします。また不安とやり場のない怒りから、家庭内暴力が増加しています。さらに感染者に対する差別…
コメント:0

続きを読むread more

4月の黙想「謙遜の道」

 人間が神から離れたのは、高慢が原因でした。神を見て「自分も神のようになりたい、神のようになれる!」と考えました。悪魔の誘惑に騙されて、その考えが頭と心に入りました。そうなると、神が人間のために定めたルールが邪魔に見えてきます。神が私の自由を妨げている、私の幸せを邪魔している、そう勘違いして、禁じられた「善悪の実」に手を出してしまっ…
コメント:0

続きを読むread more

4月の黙想「イエスと一緒に食事する」

外出自粛のため、ミサに与れない人や黙想会に参加できない人が多くいます。自宅で黙想できるように、テーマと黙想の説教を書こうと思います。ご活用ください!4月のテーマは「人としてのイエス」と「謙遜」です。まず、人としてのイエスと付き合うというお話からです。  復活したイエスが最初にされたことは、使徒たちと食事を一緒にすることでした。説教…
コメント:0

続きを読むread more

復活の証「イエスの亡骸を包んだ布」

 9年前の大震災、今年は新型コロナウイルス禍。この二つが重なって見えます。あの時の復活祭の言葉を思い出しています。今も日本、世界にも当てはまると思うのです。  (・・・)流された我が家に帰ってみると、礎石を残すのみで何もなく泥まみれでした。佇(たたず)んでいると、足元に小さな花が一輪、花を咲かせているのが目に入った瞬間、いのち…
コメント:0

続きを読むread more

おそれるな、安心せよ!

 復活したイエスが婦人たちに最初に言った言葉は「おそれるな!」でした。イエスは同じ言葉を現代の私たちに向かって言うでしょう。「新型ウイルスを恐れるな」「経済的困難を恐れるな」「明日の暮らしを恐れるな」。なぜなら、イエスは死に打ち勝って復活されたからです。私たちと共に働いておられるからです。復活は苦しみを通ってくるのですから。きっと世…
コメント:0

続きを読むread more

世界は「復活」するのか?

 主のご復活、おめでとうございます!  欧米は日本以上に新型ウイルスとの戦いが深刻です。何かを変えなければ、日本も数週間後に同じ姿になるはずです。復活は十字架(苦しみ)を通らなければありません。私たちが復活したイエスと結ばれて、団結して頑張るなら、世界は復活して新しくなるに違いありません!  復活したイエスは、まずマグダラの…
コメント:0

続きを読むread more

『復活』を生きる

「四旬節を生きる」なら、誰でも分かると思います。いつもより華やかなことは控えめに、犠牲を増やす、など。一昔前は「歌を口ずさまない」「口笛を吹かない」とも言われていました。先月、四旬節の黙想指導をしましたが、その後で「花見をする」という提案がありましたが、四旬節にふさわしくない、ということで却下されていました。では「復活を生き…
コメント:0

続きを読むread more

聖金曜日「十字架は恵みの玉座」

 今日、十字架の下へ出かけて礼拝をしたくても出来ない人々が、世界中に大勢います。また、新型コロナウイルス流行で苦しんでいる人、経済的な不安を抱えている人がいます。外出が制限され、不自由な生活を余儀なくされている多くの市民もいます。これらの人々の中に、十字架上のイエスの姿が重なって見えます。典礼に参加できない人は残念な思いがあるでしょ…
コメント:0

続きを読むread more

聖木曜日「我が師、わたしのイエス」

 聖ホセマリアは「神、イエス、聖母」の前に「わたしの」という言葉を入れていました。「わたしの主、わたしの神、あなたがここにおられ、わたしをご覧になり…」この言葉で説教を始めていました。また「わたしの母マリアよ、願いを聞き入れてください」と祈っていました。「わたしの」が入ると入らないとでは、天地ほどの差があります。神様が身近に感じる以…
コメント:0

続きを読むread more

さくらの謙遜に学ぶ

「はい」と咲き 「はい」と散る 桜かな(さちお)  川は自分の水を飲まない。  木は自分の果実を食べない。  太陽は自分自身を照らさない。  花は自分の蜜を吸わない。  他者のために生きること。それが自然界の法則。  私たちは、助け合うために生まれてきた。    (フランシスコ教皇の言葉)  新型コロナウイルス…
コメント:0

続きを読むread more

「主の受難」と現代社会の受難

 受難の主日を迎え、いよいよ聖週間が始まりました。しかし、今年はミサに参加できない信者が世界中に溢れています。大分も、長崎も司祭だけで復活を祝うことになります。今日の受難の主日も、新型コロナウイルスの感染防止のために僅かの信者しか与れません。残念ですが、実は一番素晴らしい聖週間になるかもしれません。なぜなら、以前は十字架に架けら…
コメント:0

続きを読むread more

新型コロナウイルスと闘う心得10カ条

1.新型コロナウイルスの流行に伴う困難を前に「信仰の力、希望の確信、愛の熱意をもって」(フランシスコ教皇,2020年3月8日)立ち向かっていますか? 2.自分のことばかり考える誘惑に打ち勝ち、他者に起こるすべてのことを自分のことのように、真剣に受けてめていますか? 3.「一つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しむ」(1コリント1…
コメント:0

続きを読むread more

新型コロナウィルスと戦う処方箋

「すべては役に立つ(Omnia in bonum)」(ローマ人への手紙8.28参照)。人類全体がウイルスとの戦いで苦しんでいます。いいことなんか一つもないと感じますが、苦しみも病気も、魂を強めて清めるために大いに役立ちます。私たちは神の摂理の中で生きているからです。全能の神は、悪から善を導き出す御方です。私たちの受け止め方次第で、悪を…
コメント:0

続きを読むread more