アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
トマさん祈りの部屋
ブログ紹介
カトリックの司祭です。2001年から2005年までABCラジオ「信仰の時間」を担当していました。その後は長崎にある精道学園で教えていました。そこで話したものを中心に、ミサの説教や黙想会で話したことも交えて紹介していきます。現在は大分で活動しています。

zoom RSS ブログ 新着記事

タイトル 日 時
他者との一致
これは平和を築くことに他なりません。平和とは単に争いがないことではなく、考え方や習慣、文化が違っても互いの違いを尊重し、相手から学ぶことで互いが豊かになっていくことです。そして、表面的には正反対に見える「多様性と一致」が生まれます。その土台は、一人一人が目の前の人と「一致」して生きることです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 0

2019/02/18 19:19
自分との一致
「現代社会は、果たすべき務めが多く、各種の問題が山積みになり、しばしば緊急の対策を要するので、様々な事柄に自分が分裂、あるいは分散してしまう危険が少なくない。また、多くの義務に束縛され、仕事に追い回されることも珍しくない」(第二バチカン公会議文書参照)。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 0

2019/02/13 19:19
イエスと親しく話し合おう!−ルターの主張の見直し−
16世紀、ルターは教皇や司教、一部の聖職者の腐敗を教会に訴え出ました。しかし、門前払いをくらい、逆に教会の権威に従わない危険人物、異端的な司祭とされました。ルターには、教会が信者から神を遠ざけているように見えて、教会を邪魔と感じ始めました。そして、次第に教会なしで、信者が信仰によって直接神と結びつけば救われる、と考えるようになりました。こうして「信仰のみ。聖書のみ」というプロテスタントの信仰の原型が生まれたのです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 14 / トラックバック 0 / コメント 2

2019/02/06 13:41
ザアカイ、降りてきなさい!ラザロ、出てきなさい!
イエス・キリストは、何かの恵みを与えるためだけに、この世に来たのではありません。ましてや、何かを要求するために来られたのではありません。赤ちゃんが母親の顔を見るために生まれてくるように、イエスは私たちと「出会う」ために来られたのです。ただ聖書を読んでイエスを知っているだけでは、本当に「知っている」とは言えません。それは単なる知識であって、まだ出会っていないからです。誰かを「知っている」というとは、その人と付き合って相互の関係を築いていることを意味します。人は「探して」「出会って」「付き合って」、... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 0

2019/01/29 18:51
イエス・キリストを探せ!
昔、「ウォーリーをさがせ」という絵本が流行りましたが、最近また出回っています。同じようにキリスト者は、教会の中だけでなく、仕事場や家庭、街の通り、社会の真っ只中でイエス・キリストを探さなければなりません。「探しなさい、そうすれば見つける」とイエス自身が語っておられるからです。そして、イエスを探さなければ、いつまでたっても神と出会うことはなく、人生を終えてしまいます。それでもいい、という人がいるでしょうが、それは1億円の宝くじの当たり券を持っているのに、タンスに仕舞い込んで忘れている人に似ています... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 20 / トラックバック 0 / コメント 0

2019/01/22 14:13
主の洗礼−み心に適う人−
イエスは宣教を始めるに先立って、洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けました。その時、「これは私の愛する子、み心に適う者」と天から声が聞こえました。イエスは本性において父である神と同等ですから、今更「み心に適う人」と告げるのは不思議な感じがします。イエスの洗礼に秘密が隠されているからです。イエスは神であり、洗礼は必要ありません。しかし、イエスは同時に人でもあります。人としてのイエスは人類を代表しています。だから私たちのために洗礼を受けたのです。だから洗礼を受ける人は、イエスが受けた洗礼の恵みに与... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 20 / トラックバック 0 / コメント 0

2019/01/16 16:50
からし種の信仰とは?
新しい年を聖書の言葉で始めましょう!「一粒のからし種ほどの信仰があれば、この山に向かって『ここからあそこに移れ』と言えば、山は移るだろう。信仰があれば、あなたたちに出来ないことは何もない」(マタイ17.20)。 これは、イエスの有名な言葉ですが、「からし種の信仰」とは、何を指しているのでしょうか? 本物のからし種を見たことがあります。ごまの粒より小さい黒い粒です。「少しだけ信じればいい」ということでしょうか?それでは信仰とは言えません。神を信じることが信仰ですから、少ししか信じないならば「疑... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 19 / トラックバック 0 / コメント 3

2019/01/10 15:11
クリスマスと「死刑廃止」
今年、フランシスコ教皇は、死刑廃止をカトリック教会の正式の教えとして発表されました。クリスマスに似合わない話題に思えますが、救い主が生まれたことと深くつながっています。イエス・キリストは、そもそも闇の世界に光をもたらし、私たちの心の闇を追い払うために天からこの世に降りて来られました。それまで私たちは罪と死に支配されていたのです。私たち自身が死刑囚のような者だったのです。そんな私たちが「ゆるされ」、死から解放されました。これを前提にしなければ「死刑廃止」は正義とは言えないでしょう。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/12/26 16:31
よろこびなさい♪
「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」(フィリピ4:4) 待降節の第3主日は、聖パウロのこの言葉で始まります。しかし、「素直に喜べない」というのが私たちの偽らざる心境ではないでしょうか。毎日のように凶悪事件や様々な不正が報じられています。こんな社会に目をつむって喜べ、というのでしょうか?それなら、現実逃避であり、社会人として無責任です。パウロが「喜べ!」と強く勧めるのは、目に見えない「救い」を見ていたからです。聖パウロが活躍した二千年前、現代以上の不正と暴力の中にあって「喜... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/12/19 13:51
Rejoice!
The Third Sunday of Advent (Gaudete Sunday) “May you always be joyful in your union with the Lord.” ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/12/19 11:22
信仰の入力と出力
「行ないの伴わない信仰は死んでいる」と言う有名な言葉が聖書にあります。ヤコボの手紙2章です。ここでは、信仰と行いが二つ並べられています。また、「祈り」と「行為」とも言われます。しかし、この二つは別々ではなく、切り離せない表裏一体の関係になります。植物が二酸化炭素を吸って酸素を出して生きているように、動物が酸素を吸って二酸化炭素を排出するように、どちらか一方が止まれば死んでしまうのです。現代風の言い回しをすれば、信仰にはインプット(入力)とアウトプット(出力)があり、両方がつながって流れるとき、信... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/12/12 15:34
イエスは「この世」を救うために来た!
このタイトルを見て「何か変だな?」と戸惑った方はいませんか?キリスト教が最初に教えるのは、「イエスは人類を救うために来られた」ですね。「この世」ではなく「人類」です。しかし神が望んでいたのは、人間が神と和解するだけではなく、天と地のあらゆるものが神と和解することでした。つまり「この世」を救うことも神の計画の中に入っていたのです(コロサイ1.21参照)。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/12/05 11:02
教皇様が言う「出て行く」信仰とは?
賑やかな通りに面した窓を開け放って、両手を広げて「これが、私の最も気に入っている聖堂(祈りの場所)です!」と聖ホセマリアは新聞記者に答えました。オプス・デイの本部には、たくさんの聖堂がありますが、記者は「どの聖堂がお気に入りですか?」と質問したのです。誤解の無いように補足をしておきますが、けっして教会や聖堂を軽視した言葉ではありません。「この世」こそが、信仰を表す最高の場所だというのが真意です。フランシスコ教皇も使徒的勧告『喜びに喜べ』で同じ事を強調されています。その部分を紹介します。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/11/28 10:30
「イエスの心を奪った人たち」(2)
「イエスの心を奪った人たち」(2) 「イエスは、どんな人々に心奪われ、感動されたのでしょうか?一番分かりやすい、象徴的な出来事は最後の場面で起こりました。イエスと共に十字架に磔(はりつけ)られた、あの「よい盗賊」と言われる人です。人生で悪事を重ね、とうとう十字架刑で死罪になりました。その苦しみの中で、自分の罪を認め、苦しみを受け入れ、イエスに信頼して、一つのことをお願いしました。「私を思い出してください」。イエスは、そのへりくだった態度に心奪われて、天国を約束しました。立派な業績ではなく、その改心に感動したのです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 13 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/11/20 13:00
天草・崎津教会巡礼の旅「イエスの心を奪った人たち」
天草・崎津教会巡礼の旅「イエスの心を奪った人たち」 生命を懸けて信仰を守り通した殉教者は、「信仰の英雄」として人々からも称賛され、後世になっても尊敬を集めてきました。その陰に隠れて、「踏絵」を踏んで「転んだ」キリシタンも多くいました。彼らはイエス・キリストを「捨てた」という良心の呵責と、仲間を裏切ったという「後ろめたさ」を背負って生きました。それは、天国の栄光を受けた殉教者と正反対の人生でした。これまで教会の歴史では、彼らに光が当てられることはありませんでした。しかし彼らがいたからこそ、250年の迫害の年月を越えて信仰が伝えられたのです。 ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/11/14 13:31
「正しい人」が救われるのではない!
「正しい人」が救われると考えられているかもしれませんが、イエスは「神のみ前に『正しい人』は誰もいない」と話されました。また、自分は「正しい人」だと考えて、「自分には罪が無い」という人は偽り者であって、その人は永遠の生命を受け継ぐことが出来ない、とも教えています。だから「正しい人」が救われるとは言えないのです。では、いったい誰が救われるのでしょうか? ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 15 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/11/07 14:58
還暦と悪霊
還暦と悪霊 日本の伝統で、還暦祝いに赤い「ちゃんちゃんこ」を着るという習慣があります。日本では、昔から朱色は悪霊を追い払う力があると信じられてきました。伏見稲荷神社の鳥居が朱色に塗られるのも同じです。今では迷信と思われていますが、悪霊は今も働いています。教皇フランシスコは、「私たちを神から引き離し、仲違いさせようと常に試みている悪魔からの保護を願って「大天使聖ミカエルへの祈り」と「聖母マリアの終業の祈り」を唱えるように、全信者にお願いされました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 15 / トラックバック 0 / コメント 3

2018/10/31 16:44
「完全な者になりなさい!」
 前回と正反対みたいですが、これもイエスの言葉です。「天の父が完全であるように、あなた方も完全な者になりなさい」(マタイ5.48)。ルカは「完全な者」の代りに「慈悲深い者」(6.36)、ぺトロは「聖なる者」(手紙@1.16)と伝えています。「完全な者、慈悲深い者、聖なる者」いずれも難しそうです。いや、自分には不可能に思えてきます。この言葉の真意は、どこにあるのでしょうか?一緒に考えて行きましょう。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 13 / トラックバック 0 / コメント 1

2018/10/26 20:41
「子どものようにならなければ…」
「心を入れ替えて子供のようになる」、また「自分を低くして子供のようになる」人が、天の国に入り、天の国で一番えらいのである、とイエスは教えています。「子供のようになる」とは、具体的に何を指すのでしょうか?さらに、どのようにすれば子供のようになれるのでしょうか?ただ漠然と、子どものような天真爛漫で純粋で素直な心になることだ、と受け止められることが多いのではないでしょうか? ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 13 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/10/19 16:20
『いったい誰が救われるのですか?』(マルコ10章17-27)
金持ちの若者がイエスに近づいて尋ねました。「永遠の生命を受けるために何をすればいいでしょうか?」彼は日頃から幸せを求めて努力していました。その結果、財を築きました。さらに死んでからも幸福であるために、救われるために何をしたらいいか、知りたいと願っていました。そんな良い機会が巡ってきました。几帳面で努力家の彼はチャンスを逃しません。彼の性格、生き方がよく表れています。そんな彼ならきっと救われると、当時の人々も考えたことでしょう。しかし、イエスの返答は違いました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/10/12 13:45
「キリスト信者」から「キリスト者」」へ
教会文書の文言が「キリスト信者」から「キリスト者」へ変わったことに気づかれましたか?どちらも同じ意味ですが、感じ方や受け止め方が微妙に違います。「〇〇信者」と言えば、仏教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒などではなく、「キリスト信者」ですという意味になります。つまり、ある宗教組織に属している外的な身分を表しています。一方「キリスト者」と言えば、イエス・キリストに従う人、その生き方を模倣して「もう一人のキリスト」を目指している人を連想させます。身分だけではなく、それに見合った心や内的状態を指しています。... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/10/05 15:04
神は「与えて」から「求める」
目が見えない人を見て、使徒たちはイエスに尋ねています。「盲目なのは、この人のせいですか?それとも先祖の罪のせいですか?」これは、日本でもよく見られる「因果応報」の考え方です。良いことがあれば善行の報いと考え、悪いことが起これば罰だと考えるのです。ある少年が病気で目が見えなくなりましたが、本人は「ポルノ雑誌を見たせいだ」と親に言ったそうです。人間、誰しも似たようなことを考えるものですね。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/09/28 15:44
聖性−牛乳屋フアンの場合−
牛乳屋フアンは、毎朝早起きして、大きなミルク缶を荷車に積んで、村の家々を回って配達していました。天主堂の前を通りかかると、荷車を止めて、中に入って祭壇の方に向かってひざまずき、挨拶するのが常でした。「イエス様、おはようございます。牛乳屋のフアンです。」それだけ言うと十字架のイエスを後にして、また荷車を引くのでした。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 16 / トラックバック 0 / コメント 1

2018/09/21 15:26
人間関係の中にある聖性
フランシスコ教皇が『神の民への書簡』と題して、全世界の信者に向かって手紙を書かれました。その中で、永年にわたって教会の中で犯されてきた聖職者による性的虐待について、祈りと断食を捧げ、個人と共同体としての悔い改めと回心をするように訴えています。カトリック中央協議会HPやカトリック新聞に掲載されていますから、是非、ご覧になってください。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 5

2018/09/14 16:29
岩の上に建てた信仰
『砂上の楼閣』(さじょうのろうかく)という言葉があります。辞書によれば「見かけは立派だけれど、基礎がしっかりしていないため、結果を出せないこと」。転じて「実現不可能な計画」とある。2000年前にイエス・キリストが同じ事を言っています。「砂の上に建てた家は、雨風が吹けば倒れてしまうが、岩の上に建てた家は、雨が降っても風が吹いても倒れない」。これは信仰のことを例え話で教えています。「砂の上」とは、そして「岩の上」とは、何を指しているのでしょうか? ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 14 / トラックバック 0 / コメント 2

2018/09/07 16:22
ただいま
長い休暇を終えて、大分に帰ってきました。その間、遊んでいたわけでなく、若い人たちを指導したり、ヨハネの福音を解説したりと、研修の日々を過ごしておりました。もちろん、テニスもいっぱいして、しっかり日焼けしてきました。3週間、京都で過ごしましたが、40度を超す猛暑で、命の危険を感じるほどでした。朝方でも部屋の気温が30度を越えて、寝苦しい夜が続き、少し夏バテしました。その後、奥芦屋の山の家で3週間の研修でした。海抜565mで、気温が5度ほど低くなるので、快適な日々で、夏バテも解消しました。このように... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/09/07 16:19
夏休み
京都に来て仕事をしています。約20年ぶりです。懐かしいですね!3週間、滞在したら、次は奥芦屋で3週間、夏の研修です。ということで「トマ部屋さん」は9月に入ってから再開します。みなさん、夏バテしないように気を付けてお過ごしください。この夏は熱波が列島を襲いそうですよ! ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 1

2018/07/21 10:41
「自分らしさ」とは神が描くキャラクター
一昔前、「自分探し」が流行りました。今も「本当の自分とは何か?」を探して、人生に不安を感じている人は多いと思います。「何をしていいのか、分からない」「何をしても、幸せを感じない」「人に合わせることに精一杯で、自分がいない感じ」などです。「自分らしさ」を、「人と違うこと」と考えると、大多数は、人と似たり寄ったりの人生を歩むことになりますから、「自分らしくない」という結論になってしまいます。本当の「自分らしさ」は、どこにあるのでしょうか? ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 2

2018/07/14 10:46
庶民の聖性
私たちが知っている聖人は、救霊と宣教と慈しみの大事業を成し遂げた立派な方々ばかりです。最近では、カルカッタの聖女マザー・テレサや聖ヨハネ・パウロ2世教皇などが有名です。だから、聖人になるために、このような抜きん出た活動を真似ようと考えます。ところが立場の違う人が同様の事をすると、かえって聖性を損なうことになります。「各自、自分の道において」と第二バチカン公会議は述べています。「私たちは、達成不可能に見える聖性の模範を前にして、失望落胆してはなりません。それをまねることを意味しません。なぜなら、そ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/07/07 14:54
ペトロの改心−聖性の出発点−
聖ホセマリアはルカ5章「大漁の奇跡」の場面を何度も黙想していました。それが聖性を目指す出発点になるからです。あの時、ペトロはイエスに選ばれて、既に宣教活動に協力していましたが、本当の意味でイエスに神の姿を見ていたわけではありません。また、活躍したいという人間的な野心も同時に持っていたと思われます。ところが、あの大漁の奇跡を前にして、イエスの聖なる部分に初めて触れて、自分がふさわしくないと痛感したのです。そこから彼の聖性追求が始まりました。それは、イエスの言葉に徹底的に従うことでした。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 2

2018/07/01 16:47
聖ホセマリア「日常生活の聖人」
オプス・デイ創立者、聖ホセマリアは1975年6月26日にローマで帰天。2002年10月6日、聖ヨハネ・パウロ2世教皇により列聖されました。そして、命日の6月26日が典礼上の記念日に定められ、すべての信者のために模範として高く掲げられました。それ以来、世界中で記念ミサが捧げられています。そして大分では、6月23日(土曜日)、大分教会で濱口司教様の司式で聖ホセマリア・エスクリバー記念ミサが捧げられました。そのときの説教を抜粋して紹介します。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/06/25 14:23
イエスの「追っかけ」−聖性と自由−
歌手や俳優を追いかけて活動に参加する熱心なファンがいて、「追っかけ」と呼ばれています。キリスト教の始まりは、これに似ていました。たくさんの人がイエスの後を追いかけて行きました。イエスによって病気が癒されたり、死者が甦ったり、心が洗われる説教をしたり、ある時は大勢のためにパンを増やす奇跡がありしました。ある者はパンに惹かれて追っかけましたが、ある者は魂の救いを求めてイエスに従いました。心の底からイエスを「追いかけて」いたのです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 14 / トラックバック 0 / コメント 2

2018/06/17 17:02
「・・・」(沈黙)
遠藤周作の小説『沈黙』が、巨匠スコセッシ監督によって『サイレンス』というハリウッド映画になり、世界的に話題になりました。どうしてこの世に悪が存在するのか?悲しみや苦しみを前にして、なぜ神は沈黙するのか?古くからある「悪の神秘」と言われる問題です。誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか?本当に神は沈黙しているのでしょうか?沈黙しているなら、その意味は何でしょうか? ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 13 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/06/09 14:43
ほんとうの聖体拝領
「聖体拝領」と訳されている元の言葉はラテン語で「comunionコムニオン」ですが、「交わり」という意味です。最近では「交わりの儀」という訳も見られます。「拝領」と訳すと、イエスが私の中に来られるという意味になりますが、これでは一方通行です。本来の「交わり」という双方向の意味が抜け落ちてしまいます。もう一つの意味、つまり「私がイエスの中に入る」という事実も表したいのです。聖体を受けるとうことは、単なる受動的な行為ではなく、私自身を与えてイエスの中に入り込んで一つになる能動的な行為でもあります。 ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 2

2018/06/05 08:39
自由は愛するためにある(2)
3.不自由な人間 人や世界が自分の思い通りにならないのは当たり前ですが、それだけではありません。自分の心さえも自由に出来ないのです。聖パウロはローマの教会への手紙に次のように書いています。 「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。善をなそうという意志はありますが、それを実行できません。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っています。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/05/28 19:10
自由は愛するためにある (1)
1.決断するということ。何かを決断すれば、それに伴って義務が生じます。就職や結婚が分かりやすい例です。義務が増えた分だけ、自分が好きに出来る時間やお金が少なくなります。それだけ不自由になったと感じることがあります。場合によっては後悔して、離婚したり仕事を辞めたりします。常に自分のためにフリーハンドを確保しておかなければ安心できないみたいです。はたして、このような生き方が自由なのでしょうか? ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/05/21 11:37
「祈り」とは何ですか?
「祈り方を知りません。教えてください」と頼まれることがあります。それは、祈りの言葉や所作を知りたいということでしょう。それは確かに祈りの一つですが、全てではありません。そもそも「祈り」とは何でしょうか?それは「神を思う心」です。その心から言葉や行為が生まれます。決まった形もあれば、自分の心のままに語り、行うことも出来ます。そこで、「祈り」について考えてみましょう。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 17 / トラックバック 0 / コメント 2

2018/05/14 09:28
「神の母」と「神の子」の召命
聖母マリアは、大天使の「お告げ」によって新しい人生に召されました。それは「神の母になる」と言う想像をはるかに超えるものでした。マリアは、おそれ躊躇いながらも、神に信頼して身を任せました。いや、ただの受身ではなく、もっと積極的な姿勢で重い責任を引き受けたのです。それが「神のお望みが私において実現しますように」の言葉に映し出されています。こうして「神の母になる」という固有の使命を受けました。それを「召し出し」と言います。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/05/07 14:44
すぐ隣にいる聖人
全ての人は、神に愛され、神に望まれて命を頂きました。みんな母親から生まれてきましたが、いのちを創造したのは神ご自身です。親が生まれてくる子に夢を託すように、神は一人ひとりに願いを込めて生命の息吹を注ぎました。この「神の個別の願いに応えること」が召し出しです。一人残らず、例外なしに神に呼ばれています。その神の望みの中身を、人との出会いや出来事を通して少しずつ発見して、自分の歩むべき道に出会います。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 18 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/04/30 19:38
イエスは「真ん中に」立った!
復活したイエスは、迫害を恐れて家に引きこもっていた使徒たちに現れた。彼らの真ん中に立って「あなた方に平和があるように」と言って祝福を与えると、使徒たちの心は平和と喜びに満たされ、勇気が湧いてきた。聖書は主のご出現の場面をこのように記しています。 主は復活されて、今も私たちと共におられます。そして同じことが起こります。主を心に迎えるなら、喜びと平和が訪れるのです。イエスは使徒たちの真ん中に立ちました。皆が一つになってイエスを取り囲みます。強い絆を実感します。しかし、その場にいなかった使徒トマ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 16 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/04/21 10:26
信仰を形に残す
信仰を形に残す ローマでは、道すがら名もない教会に立ち寄っても、その中は立派な大理石で造られ豪華な装飾で埋め尽くされていて、その壮麗さに目を奪われます。日本に持って来れば間違いなくナンバーワンの教会です。ましてや有名な教会は想像を絶する豪華さと巨大さです。はじめは驚嘆ばかりしていましたが、座って祈っていると気がつきました。これは当時の人々の信仰の証であることに。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 14 / トラックバック 0 / コメント 4

2018/04/13 14:04
十字架を愛する、義務を愛する
カトリック教会に入ると、必ず目立つ所に十字架像があります。救いは人間の力によるのではなく、キリストの受難と死を通して与えられるからです。また、イエスは最後の晩餐で、「高く揚げられるとき、わたしは全ての人を引き寄せる」と預言しました。教会の十字架は、その足下へ私たちを招いているのです。しかし、カトリック教会は十字架を重視するあまり、権威の力で信者に善行や犠牲を押し付ける傾向がありました。善意からとは言え、結果的に十字架は押し付けられるという印象を与えてしまいました。義務的な十字架では、信仰の喜びは... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 14 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/03/17 11:11
信仰は十字架で育つ
聖人たちは、みんな神から使命を受けて、それを愛し、懸命に果たしたに過ぎません。その結果、神から救いの実を受け取ったのです。「自分に死んで神に生きる」、つまり神のお望みを自分のものにしたのです。これこそが救いであり、「愛の十字架」と言われるものです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 15 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/03/10 11:30
信仰を完成させるものは?
ユダヤ教は「心を尽くして、力を尽くして神を愛せよ」と教えていましたが、実際は掟や規則を守ることだけに終始しました。パウロは「飲むにつけ、食べるにつけ、神を賛美せよ」と教えています。今や、イエスを愛することで天の父である神を愛せるようになりました。キリスト教の新しさは「神を日常生活で愛する」ことでした! ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/03/03 11:23
神の子の自由
現代社会では、誰もが自由に憧れ、自由を求めている。同時に、誰もが何かしらの不自由を感じながら生きている。自由がこれほど強調されたことは、人類の歴史を振り返っても、ない。「何でも出来る」自由を手にすれば幸せになれるという幻想が、かえって不自由を際立たせて「自分は不幸だ」と勘違いさせているのではないだろうか?私たちの自由は「愛するため」の自由であり、義務や、苦しみさえ愛することが出来る自由なのです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/02/24 12:20
「もらう」信仰から「与える」信仰へ
多くの人は、信仰によって「神様から何かをもらう」ことを望んでいるでしょう。しかし願いは、しばしば叶いません。一喜一憂して、時には不平不満を口にして、ストレスになりかねません。「してもらう」信仰は何かが足りません。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 12 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/02/18 11:43
神の足跡と神の手
自然を探せば、神の英知、美、善を発見できますが、神の愛そのものは見出せません。神の愛は何処に記されたのでしょうか? ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/02/10 10:47
信仰の神秘(ミステリー)
人間の頭の中に入りきれなかった神が、人間の心の中に丸ごと入るのです。これが神秘(ミステリー)です。心は愛によって他者と結ばれるようにできていて、神に心を開くと、そこへ神の愛が注がれ、愛である神ご自身が入って来られます。これは奇跡以上の奇跡です。神の愛のミステリーです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/02/03 10:21
キリスト教の一致
自分だけが正しいと考えるとき、人間は過ちを犯します。なぜなら、真理とは自分ではなく、イエス・キリスト自身だからです。だから、お互いに何かが足りないのです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 17 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/01/27 10:13
障害者は社会の宝物
世間は障害者に対して無関心で、自分とは関係ないと思っています。出生前検査で染色体異常(ダウン症)が見つかると、その殆どが中絶を選択している事実からも、「受け入れたくない」という思いが伝わってきます。心ある人は「助けてあげたい」「手伝ってあげたい」と思っているでしょう。しかし「なぜ神様は障害者が生まれるようにされたのか、分からない」と感じています。障害を負った子が生まれると、まるで貧乏くじを引き当てたように不幸を背負わされたと感じるものですが、それがすべてではありません。隠された真実があります。 ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/01/20 11:49

続きを見る

トップへ

月別リンク

トマさん祈りの部屋/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる