永遠の生命


2001年11月4日放送
ABCラジオ「信仰の時間」
永遠の生命は始まっている

11月になりました。カトリックでは、11月は死者の月になっています。カトリックの国では、11月2日に、ちょうど日本のお盆のように、沢山の人がお墓参りにいきます。お墓といえば、誰でも想像するのは、おじいちゃん、おばあちゃんのお墓という事でしょうか。しかし、お墓を回ってみますと結構若い人のお墓があります。13歳の男の子、1歳の赤ちゃん、44歳の夫人、働き盛りの42歳の男性、小さな子供を残して帰天した29歳の若い主婦など。誰でも長生きできる訳ではありません。人生の苦しみや、困難、喜びがその一つの数字、享年○○歳に刻み込まれています。そして、今は何事もなかったかのように、墓石が秋風の中にしっかりと建っています。

明日があるようなつもりで誰でも生きていますが、実は誰も分かりません。そして、大聖テレジアが言っているように、「すべての物は過ぎ去っていきます。そして、神の愛だけが残る!」という訳です。死というものは、私達に起こる一つの出来事ではなくて、本当は、私達が辿りつくゴールです。多くの人は、死とか、病気とか、そういったものを考えたくありません。そして、出来るだけ考えないように努力しているみたいです。しかし、誰でも辿りつきます。そこは、すべての終わりではなく、「わたし」の人生がそこに到着する訳です。そこには自分の人生の全てがあります。

お墓参りをするというのは、亡くなった人を弔うという事ですけれども、それは、「人間が亡くなっても、まだ何か残っているのではないか」という人間の直感をそのまま行動に表しているとも言えます。「死んでからどうなりますか?」と聞けば、大抵の人は、「分からない」と答えるでしょう。しかし、一方で「死ねばすべてが終わる」と考えている人も、「だから、お墓参りなんかしなくてもいい」と、そこまで言い切る人はめったにいません。なんとなく何かあるのではないかと「感じる」、その直感は正しいわけです。

有名な永井隆博士という方が、戦後、原爆病で苦しみながらも、その祈りの生活がたいへん有名になりましたけれども、あの方は、もともと無神論者でした。しかし、母親が亡くなるのを看取って、その瞬間に分かったんですね。「亡くなっても、そのお母さんはどこかにいる!この世での、生命が終わっても、まだ何かが続いている」ということが直感的に分かったのです。それは、正しいですね。

先日、愛する方を亡くした方から話を聞きましたが、その方は、「今は死ぬのが怖くない」とおっしゃっていました。「死ねば、愛していたあの人が、待っていてくれている。それがはっきり分かるから!」と話されました。また、癌で奥さんを亡くした60歳の男の人は、「早く妻の元に行きたい」とおっしゃっています。

もし、この地上の生命だけですべてが終わるなら、それらは本当に虚しいことになりますけども、そうではないという人間の直感は正しいです。人間は、体と霊魂で出来ています。そして、この地上で生きている間、この地上の生命はいつも体と一緒です。そして、体は、子供の時、青年時代、成年、そして、老年期と体は変わってきますけど、いつの時代も、私は私に変わりない。私であり続けます。そういった意味で、私というものは、体に依存していないとわかりますね。そういった、もう一つの霊的な私があります。それこそが、永遠の生命へとつながっていくものです。神様を知らない人は、この地上の世界、つまり、感覚でとらえるものだけをみつめて生きています。しかし、それは、いずれ変わっていくもので、いずれ過ぎ去っていきます。

永遠の生命は、死んだ時から始まるのではなくて、この霊というものは、今からもう始まっています。キリスト教では、死後の世界に、「天国、煉獄、地獄」の区別があると教えます。死後の世界があることを、神様から教えられて知っています。しかし、それは死んだ時から、始まるのではなく、すでに、永遠の生命に招かれている「わたし」は、今すでに生きています。この体とともに、喜んだり、悲しんだりしながら、もう、「この私!永遠に生きる私!」が今ここにいます。

11月、死者のことを考えながら、自分自身の死を考えるのにいい時だと思います。過ぎ去るものに心が囚われているとき、一日一度、心静かに「この私は何処へ行くのだろうか?」と問いかけてみることです。年と共にいろいろ変わっていくものがありますが、私自身は、いつもここにいます。そして、ある時、死というものに辿りつくわけです。「その時、私はどんな人間になっているだろうか」と考えてみることです。

死がすべてを終わらせるのではなくて、死によって、新しい永遠の生命が始まります。しかし、その永遠の生命は、今の私の行いにかかっているわけです。今、何かしないなら、明日何もしないでしょう。私達は毎日の生活や仕事の中で、実は永遠の生命に触れています。感覚的なものを超えた私の心が、それを受け取ることができます。毎日、一日一度でいいから、この永遠の生命に触れる、そういった静かな祈りをしたいものです。

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この記事へのコメント

Philip
2006年11月06日 23:31
はじめまして。
もう11月上旬になり、日毎に秋が深まり、北海道では雪虫が
飛んでいますので、初雪も近い季節になりました。
晩秋から初冬の季節は人生の哀愁とか「孤独」を感じさせる
季節ですね・・。
人はどこから来て
何のために生きて
どこへ向かっているのでしょうか・・・?。
この世界の終末はどうなるのでしょうか・・・?

神の存在、愛とは何か、人生の意味は何か、いのちと死の
問題などについて、ブログで分かりやすく聖書の福音を書き
綴っています。ひまなときにご訪問下さい。
お待ちしています。

人は何のために生きているのでしょうか?

●「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを
 愛している。」(聖書:イザヤ書43:4)。

http://blog.goo.ne.jp/goo1639/

じかん
2007年03月05日 22:42
信頼関係を求めている
得られない苦しみ

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