神の目印
2002・12・7 夙川教会
待降節の説教
「待降節」それは、神様が私たちのところへ来て下さるのを待つ時です。
どうやって来られるのでしょうか。たくさんの軍勢を引き連れて、その権勢と力を身に帯びて光り輝くものとして現れるのでしょうか。そうなればいろいろな人は信じるでしょうが、そういうふうには来られません。神様が来られるのは、あの華やかなエルサレムの中心の神殿にではなく、町はずれのベトレヘムという人口が数千、いや千人位でしょうか、そういう小さな村、しかも宿屋ではなくて馬小屋に来られます。
その時、天使が現れて神が来られたと告げます。それを聞いた羊飼いたちは神様を探しにやってきました。その時の目印は「馬小屋で生まれた」ということでした。家で生まれた、病院で生まれたなら、それは別に目印になりません。どこにでもあるのでわからない。
馬小屋で生まれるというのは、めったにあることではないので、目印になりました。そして、神様を見つけました。でも、全然神様らしくなかったのです。神殿に軍勢を連れて現れて来たのならすぐわかるし、お告げなどいりません。天使が告げたのは、隠れた場所に隠れて神様が来てますよ、ということでした。
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