心に芯を通す
心が過ぎ去らない物を常に見ている。これは大切なことです。
こんな生き方こそが、キリストの光を人々に映し出します。「この人は何か違うな…どうしてだろう?」と人々が感じます。ヨハネ・パウロ二世前教皇は、まず「私たち自身が主の御顔を眺めよう。そうでなければ、私たちのキリストの証(あかし)は物足りないものになります。これまでの神の憐れみを思い出して、主の御顔を見つめよう」と呼びかけられました。
神の御顔を求めるとは、物に執着しないことから始まります。この世のことはすべて終わりがありますから、過ぎ去るものばかりを見ている人の心は揺れて不安定です。コマと一緒です。一本の芯を通さなければなりません。すると心は安定して倒れません。
キリスト者にとって「一本の芯」とは十字架です。私たちの身代わりとなって苦しみを捧げられたキリストをいつも見ることです。つまり、自分の家庭生活、社会生活で人のために何かできるかを考え、役に立つ何かをすることです。これが神を見ている人の生き方でしょう。■
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