神の子の自由
自由を求めながら不自由になっていませんか?
自由は「青い鳥」と同じです。どこか遠い所にあると考え、探し求めても見つかりません。「不自由だ!」と嘆くばかりです。実は、もう既に自由なのです。罪を犯すことも出来れば、神を愛することも出来ます。善を為すことも悪を働くことも出来ます。これが自由ですが、その結果からは自由ではありません。つまり、善を為せば心は平和になり、悪を為せば心はその奴隷となるのです。
ガラテヤの教会への手紙5章を見てみましょう。「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、〈隣人を自分のように愛しなさい〉という一句によって全うされるからです。」
ペトロ第1の手紙2章にはこう書いています。「自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。(・・・)不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです。」
心の自由を目指さなければ、モノに縛られ心は不自由になります。億万長者になったヒルトンホテル創立者コンラッドの信条は「自分の所有物に所有されるな」でした。■
*中学三年[宗教]授業の要約です。
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