天国泥棒


イエスが十字架につけられた時(これはローマ帝国の文献にも記述される歴史的な出来事ですよ)、その両側に二人の強盗も十字架に付けられたことが分かっています。ルカの福音書によれば、一人は「善い泥棒」もう一人は「悪い泥棒」として知られています。ところが、マタイとマルコの福音書には「十字架に付けられた悪人たちはイエスを罵った」とあり、ルカの記述と食い違います。どういうことでしょうか?

福音書は目撃証言を集めたもので、口裏を合わせて書いたのではありません。現実の裁判でも起こることですが、同じ出来事を見ても人によって証言が微妙に食い違います。むしろ違うことで出来事をいっそう豊かに表わし、立体的に再現することが可能になります。この場合も同じです。おそらく、最初は二人の泥棒ともイエスを罵り、悪口を言っていたのでしょう。ところが、イエスは苦しみながらも、愛深い慈しみの眼差しで「この人たちは何をしているか知らないのです。おゆるしください!」と祈っていました。

その姿を見て、一人の泥棒は「この人はただの人ではない。この苦しみの最中でも愛する心で祈っている。この方こそ真の神である」と気付いたのではないでしょうか?そして、自分のそれまでの非を悟ったのでした。そして、ゆるしを願い「私を思い出してください」という祈りが溢れ出ました。ところが、もう一方の泥棒は自分の非を棚に挙げて「なぜ私の苦しみを救わないのか?」と一方的にイエスを批判し続けました。

本当は罪を償ってこそ救われるのです。自分の罪を認めることが先なのに、それを認めることなく苦しみが取り去られることだけを願っています。そこには自己愛しかありません。それでは神の「いのちの息」も届きません。イエスの愛に触れることも出来ません。回心した泥棒は十字架の上でやっとそれに気づきました。世間では「天国泥棒」と言われ、多くの人から羨ましがられています。しかし、本人は「もっと早く気づくべきだった」と後悔したと思います。いよいよイエスの受難、復活が近づいてきました。苦しみながら祈るイエスの姿を間近に見て、私たちも回心しましょう。■
2013/03/24主の受難の主日ミサ(C年)説教より

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