斉藤宗次郎の生き方 「雨にも負けず・・」

一人のキリスト信者を紹介したいと思います。1877年に、岩手県の花巻市に生まれた斉藤宗次郎という方です。15歳で養子に出され、その後、苦労して小学校の先生となりました。内村鑑三の著作に出会って、聖書を読み始めました。そして1900年12月、23歳の時に洗礼を受けて、花巻市で第一号のキリスト信者になりました。洗礼式は、街の中を流れる川の川原で、雪の積もった寒い朝の6時に行われました。好奇心からたくさんの人がやってきて、橋の上は見物人でいっぱいになったそうです。

当時、キリスト教は、まだ、耶蘇(やそ)と言われている時代で、国賊扱いでした。親からは、勘当され、生家に入る事も禁じられ、子供から石を投げられ、町の者からのけ者にされるといった辛い目に合いました。それだけに留まらず、中傷が相次いで、小学校の教員も辞めざるを得なくなりました。さらに、悪い事には、長女の愛子ちゃんが、「耶蘇(やそ)の子」と言われ、友達から腹を蹴られ、腹膜炎を起こしてしまいました。そして、数日後に、たった9歳で亡くなってしまいました。

普通なら、これだけ悪い事が続けば、「やっぱり神様なんか、いない」と信仰を捨ててもおかしくありませんが、見えない神を見ながら信仰に留まりました。生きながら殉教していたのです。小学校の教員を辞め、生計を立てる為に新聞配達を始めました。朝の3時に起きて駅に新聞を取りに行き、そして、新聞が配り終わると、亡くなった自分の子を思い出し、病気の子を見舞ってあげました。あるいは、年老いた婦人が寝込んでいれば、なくなった母親に親孝行するつもりでその家に行って、代わりに稲の束を背負ってあげました。

そうやって、ひどい仕打ちを受けながらも、町の人の為にできる事を全部してあげたのです。そういう無理がたたって、肺結核を患いましが、それでも、町の人の為に働く事を続けました。朝早くから、夜遅くまで。そして、寝る前には、必ず聖書を読み、勉強して、そして休んだそうです。こんな生活を二十数年間過ごしました。ところが、事情が生じて、生まれ故郷を捨てて、上京しなければならなくなりました。■(つづく)
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