「神への愛」と「隣人愛」をつなぐ

「行いを伴わない信仰は死んで」います。一方、パウロが「愛がなければ祈りも犠牲も虚しい」と教えます。イエスの真の教えは何でしょうか?それは、イエス自身の言葉が雄弁に語っています。「一番大切な掟は何ですか?」という質問に「心を尽くして全力で神を愛しなさい」と答えますが、それで終わりません。二番目は・・・と続きます。

「隣人を自分と同じように愛しなさい」と付け加えました。一番目は聖書の申命記に出てくる有名な言葉です。ユダヤ人はこの祈りを額に付けて祈り、日頃から腕に巻き付けていました。二番目はレビ記に出る言葉です。ユダヤ人は弱小民族なので外敵に対して互いに助け合うことが基本思想になっていました。これら別々の教えを一つにまとめた点が、イエスの教えの特徴、オリジナリティーです。どのように二つを一つにつなぐのでしょうか?

ファリザイ派のユダヤ人や律法学者は、神の掟を守ることが神を愛することだと考えて熱心に実行しましたが、他の人々を軽蔑し「救い」から排除していました。今も同じことが繰り返されます。祈りに熱心な人が、人々の弱さや惨めさに同情する代わりに批判します。イエスは、この態度を非難して言います。「私は善人を救うためではなく、罪人を救うために来た。」だから、私たちは第一に「自分は救われるのにふさわしくない」と自覚することです。

そして、神の憐れみと愛に信頼して、自分を神の手に委ね、神の願いを受け入れて実践することが第一です。それは神に助けを願い、他者の弱さを見れば神に祈ることです。また、自分にできる善行に励むことです。助けを必要としている目の前の人に手を差し伸べることです。それはイエスにしたことになるのです。つまり、「神への愛」は「隣人愛」を通して実現するのです。二つは表裏一体で切り離せません。愛の秩序は神への愛、そして隣人愛ですが、愛の実践の秩序は逆になります。その結果、善行は単なるボランティアではなく、神への愛に根ざした信仰の行為になるのです。■
*2016/03/08 3月の黙想「日常生活の聖化」より

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