不完全な人間!不完全な幸せ?
人間は一人で生きていけない弱く惨めな存在なのに、対立して憎んで、争いあって生きていたり、他者に無関心になり自分のことだけ考えてバラバラに生きていたりいます。人間は、このように不完全で不安定です。そんな人間が本当に幸せになれるものでしょうか?ささやかな夢や願いを叶える喜びを幸せというなら、確かに人生には小さな幸せがいくつもあるでしょう。しかし、そんな正当な幸せさえも、時には暴力や妨害、無関心によって脆く壊されてしまいます。こんな人生で我慢するしかないのでしょうか?
ちょっと待ってください。私たち人間が不完全であることは誰もが知るところですが、一人だけ例外がいます。この世に「完全な人間」がいるのです。理論や想像上ではなく、私たちと同じ肉体を持ち、血も涙もある本当の人間です。もうお分かりですね。2000年前にマリア様から生まれたイエス・キリストです。不完全な人間は、不完全な幸せしかありませんが、完全な人イエスは、完全な幸せを持っています。この「真実の幸せ」と「完全な人間」を切り離すことは出来ません。密接に繋がっています。
不完全な人間がイエスと結ばれる時、イエスの真実の幸せにも結ばれます。その交わりが成長して、幸せも成長します。それは、暴力や権力で壊すことは出来ません。この世がもたらす幸せと別次元なのです。誰も何も壊わすことが出来ない完全な幸せとは、どんなものでしょうか?それは「完全な人間」イエスを見れば、明らかになります。
「完全な人間」と言えば、すべてをコントロールして、思いをすべて実現させる人、そんなイメージがありますね。アダムとエバが願ったことも同じでした。つまり「神のような人」です。ところが、イエスの姿は、これと正反対でした。完全な人は、自分の思いを実現させるより、目の前の人を思いやることでした。人のために自分を犠牲に出来る人でした。十字架の死は、弱さを表すものでなく、愛の強さを示すものでした。「友のために命を捧げる」愛です。
イエスを信じ、イエスに習ってこの愛を生きるなら、完全な幸せにたどり着けます。この世では未完成ですが、すでにこの世で真実の幸せを生きているのです。◆
*2017/01/10 主の洗礼ミサ説教より
ちょっと待ってください。私たち人間が不完全であることは誰もが知るところですが、一人だけ例外がいます。この世に「完全な人間」がいるのです。理論や想像上ではなく、私たちと同じ肉体を持ち、血も涙もある本当の人間です。もうお分かりですね。2000年前にマリア様から生まれたイエス・キリストです。不完全な人間は、不完全な幸せしかありませんが、完全な人イエスは、完全な幸せを持っています。この「真実の幸せ」と「完全な人間」を切り離すことは出来ません。密接に繋がっています。
不完全な人間がイエスと結ばれる時、イエスの真実の幸せにも結ばれます。その交わりが成長して、幸せも成長します。それは、暴力や権力で壊すことは出来ません。この世がもたらす幸せと別次元なのです。誰も何も壊わすことが出来ない完全な幸せとは、どんなものでしょうか?それは「完全な人間」イエスを見れば、明らかになります。
「完全な人間」と言えば、すべてをコントロールして、思いをすべて実現させる人、そんなイメージがありますね。アダムとエバが願ったことも同じでした。つまり「神のような人」です。ところが、イエスの姿は、これと正反対でした。完全な人は、自分の思いを実現させるより、目の前の人を思いやることでした。人のために自分を犠牲に出来る人でした。十字架の死は、弱さを表すものでなく、愛の強さを示すものでした。「友のために命を捧げる」愛です。
イエスを信じ、イエスに習ってこの愛を生きるなら、完全な幸せにたどり着けます。この世では未完成ですが、すでにこの世で真実の幸せを生きているのです。◆
*2017/01/10 主の洗礼ミサ説教より
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