真の「無の境地」

日本人は昔から煩悩(欲望)から解放された生き方を理想としてきました。そのために座禅を組んだり、滝に打たれたり、真冬に冷たい川や池に入って経を唱えたりして、無の境地を目指す人が今もいます。しかし、欲望を求め続ける風潮に流されて無理だと諦めている人も多いでしょう。時代遅れと軽蔑している人もいるかもしれません。しかし、無の境地よりもっと大切なことがあります。「愛がなければむなしい」のです。悟りを開いても、誰も愛していないなら人生は無意味です。厳しい修業をしなくても、誰かを愛することはできます。そのとき、自己愛は小さくなります。この小さな戦いを続けるだけでいいのです。これは「無の境地」に到達できる近道であり秘策です。

 現代人が必死になって追い求めている幸せは、出世、富、権力、支配、虚栄心を満たすこと、人々から注目されることなどです。たとえこれらが無理でも、ささやかな快楽を楽しみたいと必死になっています。これらの夢は実現しても心は満たされません。手に入れた成功を失うことを恐れ、かえって不安と心配が増大します。また、世間体や社会的なイメージに神経をつかい、かえって大きなストレスになっています。いいわば幻想を追い求めているのです。そこには人生を豊かにする実体はありません。虚しい人生です。それに気づきさえすればいいのです。

 自分が幸せになることしか考えないから焦るのです。人と比べて幸せを測ろうとしてしまうのです。死後の世界を考えないから健康、若さ、美しさ、経済的な成功に執着するのです。むしろ死を恐れ、考えないように努めているようにみえます。楽しむことに価値を置きすぎて、苦しみや老化を避けることに必死で、そこに隠された価値を見出すことを忘れています。「人間とは何か?」「自分とは何か?」を素直な心で黙想するだけでいいのです。今の自分の生き方が虚しいと気づくでしょう。

 虚しいものを求めず、死んでも残るものを目指せばいいのです。あの世に持っていけるものです。それは名誉でも富でも権力でもありません。人と結ばれた心です。誰かのために捧げた時間、思い、愛情、忍耐、勇気。人のために捧げた仕事、生活です。家庭で、職場で人のためを思う戦いをするなら、その分だけ自分を忘れます。これを続けるだけです。たくさんの子を育てる母親は、喜んで自分を忘れ子どもの幸せのために自分を犠牲にできます。子を愛する心が一杯になって、エゴが無にななっているのです。これは立派な「無の境地」ですね。■
*2019/03/29 大分教会、信仰講座より

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