本気で生きる、本気で祈る

 ラグビーワールドカップが日本で開催されました。決勝トーナメント進出を懸けて、日本とスコットランドが激突しました。観た人も多いでしょう。特にラスト10分の戦いは力の限界を越えた「死闘」という言葉がピッタリでした。その姿を見て奮い立った人もいたでしょう。私も、その一人です。この人たちは「本気だ!」と伝わってきました。「まじめに頑張る」だけでは、強豪国の仲間入りはできません。信念を持って本気で立ち向かわないと実現できないものです。「まじめに努力する」と「本気」の違い、それは紙一重の差ですが、このわずかの差を生み出すためには、気の遠くなるような膨大な努力の積み重ねが必要でした。それは人々に知られることはありませんが、「本気」の姿に映し出されます。そして人々は気付くのです、そのわずかの差に。そこに感動するのでしょう。

 まじめに努力することは尊いことです。まず、それを目指すべきです。でも、そこで満足して欲しくありません。それだけでは、最後の最後、疲れて果てた時、追い込まれた時に、持ちこたえられません。自分に負けてしまうのです。「本気」で取り組んだ人だけが乗り越えられる壁です。本気で生きている人は、輝いています。人々を惹きつけます。人々を感動させ、人を動かします。それに続く人が現れます。ただの努力では輝きません。人を動かしません。もう駄目だと思える所から這い上がるような強い気持ちが必要になります。目的から目をそらせず、行き方がブレないと言ってもいいでしょう。

 これはスポーツに限らず人生そのものにも当てはまります。インドのカルカッタの聖女マザー・テレサがそうでした。道端で死にゆく人を見て、助けたいと強く思いました。修道院を飛び出して、貧しい地区に出かけて助けようとしましたが、石を投げつけられて追い返されました。何度行っても同じでした。しかし、諦めず何度も足を運びました。信頼を勝ち取るために、近づいて来た子どもたちに文字を教え始めました。そして、やっと大人にも受け入れてもらえたのです。そこから援助活動が開始しました。「この人は本気だ」と現地の人に情熱が伝わり、受け入れられたのです。

 ただ真面目に生きるだけでは、人生「物足りない」でしょう。本気で人生を懸けるものが必要です。それは、過ぎ去る虚しいものではなく、人々を動かす力があるもの。人々を幸せにするものでしょう。本気で取り組み、出来ることをやり切ったなら、その人は本気で祈るでしょう。力を尽くした後は神の領域だからです。勝敗は「神のみぞ知る」です。「神がいないかのように全力を尽くせ。そして、全てが神に懸っているかのように全力で祈れ!」聖ホセマリアの教えです。■(小寺神父)
*2019/10/18 精道三川台高等学校3年、朝の説教より

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 10

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス
ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!)
かわいい

この記事へのコメント