神の望みは「何」ですか?


「神のみ旨」という言葉を聞いたことがあると思います。「みむね」とは、神の計画、願い、望み、という意味ですが、これは「人生が運命的、宿命的」だということではありません。神は私たちの自由に任せています。信頼されている!と言ってもいいでしょう。「しなければならない」という命令ではなく、「してほしい」という願い、勧めです。

「神様、私がどんな仕事をすることをお望みですか?」「私が結婚することをお望みですか?」など、さまざまな質問をしたことでしょう。しかし、最後は自分で決めることです。極端な言い方をすれば、どちらでも良いのです。選ばないからといって罪になることはありません。しかし、どちらを選んでも神が必ず願っていることがあります。そこには選択の余地はありません。その「願い」とは何でしょうか?

それは「互いに愛し合うこと」です。何をするにしても、相手を尊重し、幸せにするために、仕える心で「それ」をしなさい、という勧めです。あるいは「誰に対しても」思いやりの心で接しなさいという願いです。これは「新しい掟」としてイエスが示されたことです。私たちは「何を」するかに心が奪われがちですが、むしろ大切なのは「どのように」果たすかなのです。

聖パウロは「飲むにつけ、食べるにつけ、神を賛美しなさい」と勧めています。イエスはたとえ話を用いて「目の前の小さな人にしたことは、自分にしてくれたことだ」と教えています。目の前の仕事が小さなこと、目立たないこと、苦手なこと、嫌なことでも、文句を言わす、ていねいに、真剣に、一生懸命に取り組むことが「神の願い」なのです。「何を」するかは重大なことではないのです。福者アルバロは、自分に任された仕事が何であれ、全力で、真剣に、心をこめて果たしました。それが「神のみ旨」です。私たちにも出来るのではないでしょうか。■
*2014/10/12 城南コンファレンス・センター 青年黙想会より

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