「交わり」の霊性
3. 三位一体の神に似ている人間
『神は人間を救うに当たって、一人ひとりを別々に救うこともお出来になったが、一つの「神の民」として集め教会を設立して、一つの家族として人類を救いに招かれました』(教会憲章9番参照)。なぜでしょうか?罪は個人的ですから、聖性も個人的です。だから、一人ひとり個別に救われるのが理に叶っていると考えても不思議ではありません。でも、神の考えは違いました。最初からそうでした。アダムという個人的な罪が全人類に及びました。そこにヒントが隠されています。
元々、人類は家族として神に招かれていたのです。だから、救われる時も家族として救われます。それは、三位一体の神と交わるために必要不可欠です。神ご自身が家族的な「交わり」を愛の内に生きておられるからです。この家族的な交わりに入るために、神は人間が互いに「交わり」を生きることを望まれました。それは、実に理に叶ったことなのです。この交わりを、教会は「聖徒の交わり」と教えてきました。単に祈りで結ばれているという意味ではありません。神の三位一体の像(かたどり)としての人間の在り方を表現しているのです。
4.「互いに愛し合いなさい」
これがイエスの「新しい掟」です。神は愛だからです。愛がなければ神の招きに応えられません。神を愛する心は、同時に人間を愛する心でもあります。心は一つしかありません。人間的な愛情を通して神を愛するしかないのです。そのために、神は人となってこの世に来られました。人から愛されるためです。人を愛さない人は神を愛することが出来ません。また、神を愛さない人は、真に人を愛することもできません。
父と子と聖霊が互いに愛で一つに結ばれているように、人間も愛で一つに結ばれるように招かれています。天国に入るとは、神と人と皆が一つに結ばれることなのです。だから、一人で救われるということは有り得ません。人間の目指す姿に矛盾するからです。「一人でいるのは良くない」のです。一人では幸せになりません。そして、一人では救われません。愛によって救われるからです。愛とは、甘ったるい気持ちのことではありません。『愛とは相手の善を望むこと』です。辛くても、時には意に反しても踏みとどまります。それが愛です。だから「苦しみは愛の試金石」と言われます。困難を通して愛は成長します。現代社会では、そんな愛は古臭いと考えられています。個人の気持ちを最大限に生きることが愛だと勘違いされています。結局は自分の都合が優先して、神につながる愛に成長しません。浅はかな「愛」の繰り返しです。恋愛が多いほど愛を生きていると思い込んでいるのです。■
*2017/08/24 in別府
『神は人間を救うに当たって、一人ひとりを別々に救うこともお出来になったが、一つの「神の民」として集め教会を設立して、一つの家族として人類を救いに招かれました』(教会憲章9番参照)。なぜでしょうか?罪は個人的ですから、聖性も個人的です。だから、一人ひとり個別に救われるのが理に叶っていると考えても不思議ではありません。でも、神の考えは違いました。最初からそうでした。アダムという個人的な罪が全人類に及びました。そこにヒントが隠されています。
元々、人類は家族として神に招かれていたのです。だから、救われる時も家族として救われます。それは、三位一体の神と交わるために必要不可欠です。神ご自身が家族的な「交わり」を愛の内に生きておられるからです。この家族的な交わりに入るために、神は人間が互いに「交わり」を生きることを望まれました。それは、実に理に叶ったことなのです。この交わりを、教会は「聖徒の交わり」と教えてきました。単に祈りで結ばれているという意味ではありません。神の三位一体の像(かたどり)としての人間の在り方を表現しているのです。
4.「互いに愛し合いなさい」
これがイエスの「新しい掟」です。神は愛だからです。愛がなければ神の招きに応えられません。神を愛する心は、同時に人間を愛する心でもあります。心は一つしかありません。人間的な愛情を通して神を愛するしかないのです。そのために、神は人となってこの世に来られました。人から愛されるためです。人を愛さない人は神を愛することが出来ません。また、神を愛さない人は、真に人を愛することもできません。
父と子と聖霊が互いに愛で一つに結ばれているように、人間も愛で一つに結ばれるように招かれています。天国に入るとは、神と人と皆が一つに結ばれることなのです。だから、一人で救われるということは有り得ません。人間の目指す姿に矛盾するからです。「一人でいるのは良くない」のです。一人では幸せになりません。そして、一人では救われません。愛によって救われるからです。愛とは、甘ったるい気持ちのことではありません。『愛とは相手の善を望むこと』です。辛くても、時には意に反しても踏みとどまります。それが愛です。だから「苦しみは愛の試金石」と言われます。困難を通して愛は成長します。現代社会では、そんな愛は古臭いと考えられています。個人の気持ちを最大限に生きることが愛だと勘違いされています。結局は自分の都合が優先して、神につながる愛に成長しません。浅はかな「愛」の繰り返しです。恋愛が多いほど愛を生きていると思い込んでいるのです。■
*2017/08/24 in別府
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