「誰のために生きるのか?」

AAe2Oqu.jpg昨日、アフガニスタンで現地の人々のために井戸を掘ったり用水路を作ったりして、農業支援を通して貧しい人々の自立に貢献してきた中村哲医師がテロの銃撃で死亡しました。1984年からパキスタンで治療や医療教育をするNPO活動をスタートさせ、2000年にはアフガン東部一帯で大干ばつが起こったのをきっかけに水源確保も始めました。「土地を緑化すれば人は難民化しない」という一念でした。掘った井戸は数百に上りました。その貢献が実って、現地の住民からだけでなく政府からも信頼されるまでになっていました。彼の働きで命を救われた人は数え切れないほどでしょう。今も感謝する人が絶えません。現地の心ある人々の悲痛な思いが伝わってきます。私たちは、この不合理な死を悲しむだけでなく、彼の遺志を継ぐことが大切だと思います。それが一番の供養になるはずです。

世界から忘れられたような貧しい国の人々を思い、「自分に何ができるか?」を自分い問いかけ、医者として命を救うために現地に出向きました。そこで見たのは、感染症が流行って幼い命が失われ、一人の医師では何も出来ない現実でした。「10人の医者より一つの井戸が人々を救う」ことに気づいて、井戸を掘り始めたのです。彼の人生は貧しい人々のためにありました。危険を承知で現地に踏みとどまりました。信頼関係だけが身の安全の保証でした。「友のために命を捧げる。これほど大きな愛はない」というイエスの教えを文字通り実践したのです。

思春期は真剣に人生を考える大切な時期です。「何のために生きるのか?」思い悩むときです。しかし、その問いかけだけでは人生の真理にたどり着けません。人生で最も大切な問いかけは「誰のために生きるのか?」です。人生の意味は、他者との関わりの中に隠されています。「私という存在は、誰かのためにあるのです。誰かの役に立つ自分を発見して、自己を実現させます。自分のいのちが開花します。若者のいのちの中に『他者のためのいのち』が埋め込められているのです。通常は、仕事と結婚で具体化されます」(フランシスコ教皇『キリストは生きている』257-258参照)。

現代日本は若者に「有能さ、生産性、成功」だけを求めていますが、それだけで幸福になれません。もっと大切ことがあります。自分を必要とする人のために自分を差し出す勇気です。「神はあなたが他者のためにも存在して欲しいと望んでおられます。神はあなたの中にたくさんの良いものを置かれました。それはあなたのためというよりも、他者のためなのです」(同上286)。亡くなった中村医師の模範に見習ってはどうでしょうか?■
*2019/12/06 精道三川台高等学校3年生、朝の説教より(小寺神父)

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