テーマ:宗教

たった三人の最初のクリスマス(1)

お祭り騒ぎとは無縁の静けさのうちに起こりました。キリストはエルサレムの城外にある田舎村ベツレヘムの馬小屋でお生まれになりました。 知っているのは、母であるマリア、養父であるヨゼフ、そして馬草桶に寝かされている幼子イエス様、三人だけです。静かだけど寂しくありません。人の心に光をもたらす方が目の前にいらっしゃるから。 この世…
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神とのツーウェイ

どうやって神との友情を育てればいいのでしょうか。聖ホセマリア・エスクリバーは次のように勧めています。 「(・・・)幼子を抱き上げることさえおゆるしになる。そこで私は時の経つのも忘れ、いつまでもいつまでも、優しい言葉、燃えるような言葉を幼子にささやき続けるのだ。幼子にほおずりをする。あなたもそうしてさしあげなさい。踊りあやし、歌…
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神との友情?

自分の考えを捨て、天の望みに従えば幸せになれるという、朱子学の「天の思想」があります。夏目漱石は、それを「則天去私」と言っています。天は自然の法律のようなものと考えるのです。 しかし、神が単に法律のようなものであれば、心を持つ人間にとって何か物足りない気がします。相手が優れたものであるなら、心を通わせたいと思うのが人情でしょう…
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「あなたと私」という関係

賞賛されたい、目立ちたい、よく思われたい・・・。人間は、このような高いろうそくになりたいのです。そして、自分が支配する人に対しては尊大で、人に仕えたくないのです。 神様が、赤ちゃんの姿でこの世に来られたのは、ご自分の模範で、無言の内にこの人間の姿を諭すためでもありました。本当に立派な人は、寄り添い付き合うほど、心の温かさが伝わ…
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小さな光のろうそく

食卓を囲んだ二つの家族を描いた日本の古い絵があります。一つは、遠くからでも見える高くて立派なろうそくが立てられ、もう一つの家族の食卓には、近づかないと見えない質素なろうそくが立っています。 立派な明かりに引かれて食卓に着くと、ろうそくが高すぎて、手元は暗くて食事も人の顔もよく見えません。寂しい食事です。目立たない食卓に着くと、…
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赤ん坊の神様

「神様」と聞いてどんな姿を思い浮かべますか。白い髭を蓄えた老人でしょうか。なんとなく頷けるような気がします。ところで、無力な赤ん坊はどうでしょうか。 「信じられない、こんなはずがない」と思います。それが常識ではないでしょうか。しかし、神様はそのように計画され、その通りに実行されました。 もし、神様がご自分の栄光と力を示す…
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最初のクリスマス

日本のクリスマスは神不在です。有名なエピソードがあります。クリスマスの夜に街を巡回していたお巡りさんが教会の前を通りかかると、中から楽しそうな歌声が聞こえてきました。 覗いてみるとクリスマスをお祝いしていました。不思議に思い、そこにいた人に尋ねました。「キリスト教もクリスマスを祝うのですか?」 クリスマスは知っていても、…
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愛がなければ空しい!

聖母マリアは、母として我が子イエスから離れません。これは信仰ではなく愛です。婦人たちが残ったのは、「イエス様を置き去りにすることは出来ない」という愛からでした。 使徒たちは逃げ出しました。それは、信仰が足りないというより愛が足りなかったのです。信仰が本当に生きたものになるために、愛の行いが必要です。ヤコブの手紙の中ではっきりと…
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愛する心、素直な心

愛する心がなければ、神様を発見できません。素直な心がなければ神を見過ごしてしまいます。大きな心がなければ神様を追い出してしまいます。 別に悪意がなくても、結果的に神を追い出すのです。ちょうど宿屋の主人が金儲けばかり考えて、あの貧しい夫婦、ヨゼフとマリアを泊めなかったように。結果的に神様を追い出してしまいました。愛する心がなけれ…
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「弱さ」が目印?

十字架につけられたイエス様がおられます。これがキリスト信者の希望です。これが私たちの救いなのです。 2000年前も、目に見える印を求めて、たくさんの人がイエス様のまわりに集まったけれど、この十字架を見てたくさんの人が離れ去りました。「神様がこんなはずはない・・・」と。十字架、人間的に見れば失敗、しかも大失敗ですが、そこにこそ神…
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頼りない神

馬小屋で、しかも無力な赤ちゃんの姿で現れました。もし、お告げがなければ、そこに神様がいるとは誰も気付かなかったでしょう。 実際、宿屋の主人は聖ヨゼフと聖マリアを追い出してしまいました。もしマリア様やヨゼフ様の頭に後光が差し、何か目にみえる印をもっていたら、決して追い出しはしなかったでしょう。ところが目に見える印は何もなかったの…
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神の目印

2002・12・7 夙川教会 待降節の説教 「待降節」それは、神様が私たちのところへ来て下さるのを待つ時です。 どうやって来られるのでしょうか。たくさんの軍勢を引き連れて、その権勢と力を身に帯びて光り輝くものとして現れるのでしょうか。そうなればいろいろな人は信じるでしょうが、そういうふうには来られません。神様が来られるのは…
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だから、祈ってください!

友人が苦しんでいれば、側にいて慰めるでしょう。では、自分の財力や権力を使って、見ず知らずの苦しむ人の物理的な状況を助けたとします。助けられた人は、確かにありがたいと思うけれども、その人を好きになるでしょうか?それは難しいと思います。 神様は、そういう力を持っておられますが、それを一方的に押し付けるのではなく、もっと人間の心にぴ…
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神の救いは実現した!

神の救いとは、どういうことでしょうか。不幸や悲しみが、「なくなること」でしょうか。この世には、たくさんの不正義があります。人間の罪のからくる苦しみがあります。 テロ事件のような不幸な出来事や事件も、やはり人間の責任、人間のせいです。人間が自由であるという点において、神が介入して止めるということはありません。悲しみや苦しみは無く…
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神の救いはどこに?不幸な出来事の意味

ABCラジオ「信仰の時間」2001年11月11日放送より。ニューヨークでの同時多発テロのような悲惨な事件が起こると、いつでも質問される事があります。「神様は、どうして、ああいう不幸な出来事を救わないのか?」 「もし救う事が出来ないならば、神は全能といえないではないか!ああいう悲惨な出来事があると知りながら、それを避けないならば…
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そして、体を生かす力とは?

最近、遺伝子の研究が進んで、その配列の違いによって、様々なことが起こることまで分かっています。 非常に巧妙な仕組みで出来ているわけです。たんぱく質の並び方が少し変っただけで、別の働きをする、その働きをもたらす力はどこあるのでしょうか。また、生きている人と死んでいる人は、体の仕組みから見ればまったく同じですが、生きた体には仕組み…
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脳を動かす力とは・・・

考えるとき、脳のある部分が働き、ある感情のときは別の部分が働いていることが分かっています。概念や意志や感情は脳が作り出すのでしょうか? 車を見て、「走っている時はタイヤが回っている。止まっている時は、タイヤが止まっている。だから、車が走る原因はタイヤである」と、言えるでしょうか?人間にとって脳というのは、車にとってタイヤのよう…
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私は虫ではなくて、そこに神を見ている

「神について考える人にとっては、神の力と神聖は見えるものである」 と、新約聖書のローマの教会への手紙に書いてあります(ローマ1.21)。 私達は、神そのものを見ることは出来ませんが、神の力、神の働きを見る事ができます。 昆虫を研究していたファーブルは、昆虫を観察し、虫の素晴らしい力を見ながら、「私は虫ではなくて、そこに神…
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見えない世界-神の働きは見える-

ABCラジオ「信仰の時間」2001年11月21日 今日は、見えない世界ということについて話したいと思います。 今月の初めに「11月は死者の月」ということで、永遠の生命について話しましたが、人間にとって、まず目に見える世界があります。感覚を通して把握されるもので、科学の発達によって随分詳しく知る事ができるようになりました。目に…
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カナの婚宴、水がぶどう酒に

カナの婚宴で、水を良いぶどう酒に変える奇跡がありました。悪いものがよい物になりました。ぶどう酒を切らすという「失敗」が、最後までよいぶどう酒を出すという「大成功」に変わりました。 これが神のなさり方です。物的な奇跡は、必ずしも起こるといえませんが、信じることによって私たちの心が変わります。これこそ真の奇跡です。これならばいつで…
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ピンチはチャンス!

「私が弱い時に、私は強い」。聖パウロが禅問答のようなことを言っています。これは真実です。 病気自体は決して良いことではありません。失敗とか困難も、それ自体決して良いことではありません。病気になれば、病気を治すように一生懸命に努力し、失敗とか困難があれば、それを改善しよう、乗り越えようと努力すべきです。 失敗とか病気自体に…
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99匹の羊、99%の信仰

本当に100パーセント、神に信頼しきっていますか? そのように問い掛けられると「100パーセントあります」と言い切れません。98パーセント位信頼しているけれど、残りの1~2パーセント位は信頼し切らないで、自分の力を頼ってしまっているのではないでしょうか。 そんなことをぼんやり考えて聖書を開くと、99匹の羊を置いて1匹の羊を…
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