主イエスは復活した。アレルヤ! 「主は復活された。アレルヤ!」この言葉を最初に叫んだのは、マグダラのマリアです。そして、この「よい知らせ」(福音)を最初の伝えたのも彼女です。キリスト教は復活したイエスと出会うという喜びからスタートしたのです。ところで、あなたは復活したイエスと出会いましたか? マグダラのマリアの出会いの場面に、復活したイエスと出会うヒントが隠… トラックバック:0 コメント:0 2022年04月26日 続きを読むread more
金持ちの若者の信仰ー年間28主日(B年)マルコ10.17-30ー 2021/10/10 ミサの回心の祈りで「思い、言葉、行い、怠り」と罪を告白しますが、キリスト者の道は、ただ罪深い思い、言葉、欲望、行いを避けるという否定的な道ではありません。つまり掟を守るだけの信仰では不十分だということです。ファリサイ派の人は神殿でこう祈りました。「神様、私は他の人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を… トラックバック:0 コメント:0 2021年10月10日 続きを読むread more
なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。(マルコ4.35-41) ベトナム戦争終結後、サイゴンを占拠した共産党から不当に逮捕され、13余年にわたる拘留・軟禁・独房生活送ったグエン・ヴァン・トゥアン枢機卿は、獄中での祈りをメモに書き残し、後に「5つのパンと2ひきの魚」-獄中からの祈り-(女子パウロ会2007年)として出版した。 司教として次々と教会を巡り、信者たちを訪問して励まし教え、神の… トラックバック:0 コメント:0 2021年06月20日 続きを読むread more
四旬節第3主日(B年)ヨハネ3.12-25『あなたの熱意が神を食い尽くす』 神殿で犠牲(いけにえ)にするための牛や羊や鳩を売っていた商売人を、イエスは力づくで追い出しました。その様子を見て、使徒は聖書の一節を思い出しました。それが上の言葉です。神殿や参拝者を思って商売していた人は、信仰熱心に見えますが、その心は神から遠く離れていました。商売への熱心さが、かえって信仰の熱を冷ましていたのです。イエスは別の場… トラックバック:0 コメント:0 2021年03月07日 続きを読むread more
ノーベル賞の医者も認めた聖母の奇跡 ノーベル生理学・医学賞を獲った医者アレキシス・カレル(1873-1944)は、無神論者で奇跡を信じていなかった。フランスのルルドで病気が治ったという噂が世界中に広まるのを苦々しく思っていた。「この奇跡の嘘を暴いてやろう」と決心して現地に乗り込み徹底調査した。その結果、多くは医学的に説明できるもので、奇跡ではないことを明らかにした。… トラックバック:0 コメント:0 2021年02月13日 続きを読むread more
すべてに始まりがある-キリスト教の起源- この学校は、聖ホセマリアがオプス・デイの精神を伝える学校を創るように望んだから存在しています。その精神とは「よく学び、よく働いて、人間的に成長しながら、周りにいる人々に喜びと幸せをもたらし、よい社会を創りあげる人になる」ことです。また、一人一人は神から人生の使命を受けています。勉強や仕事と日常生活を通して、神の望みに応えることで本当の… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月20日 続きを読むread more
年間第19主日「水の上を歩く信仰」マタイ14.22-33 「清水の舞台から飛び降りる」。22歳で洗礼を受けた時の心境は、まさしく「これ」でした。「神の手に人生を委ねることが一番」と頭で分かっていても、いざ実行しようとすると、不安や心配が襲って来るのです。いつか、どこかで決断しなければ、いつまで経っても始まらない。迷ったまま人生が終わってしまう。それではいけない。そして「えいっ!」と飛び… トラックバック:0 コメント:0 2020年08月09日 続きを読むread more
本気で信じ、本気で生きる 夫婦、親子での本気の対話が少なくなっています。たとえば、子どもの進路について、父親、母親、本人がバラバラの考えを持ったまま、各自が別個に先生に相談するのです。本来は家庭で話し合って決めることを教師に調整を押し付けています。家庭内に波風を立てることを恐れて、お互いが本音を打ち明けていません。反対すると関係にひびが入る、意見を言うと傷… トラックバック:0 コメント:0 2020年03月25日 続きを読むread more
信じる力「26聖人の奇跡」 マルコの福音書には、病人が癒される奇跡がたくさん登場します。それを読んで、「作り話じゃないか?」「大げさに書いているのでは?」と疑う人も多いでしょう。しかし、奇跡は今も起こっています。フランスの「ルルドの泉」には毎年500万人が訪れて、怪我の治癒や病気の奇跡的回復を祈って願いが叶っています。それを疑って、インチキを暴露してやろうと、後… トラックバック:0 コメント:0 2020年02月06日 続きを読むread more
イエスと結ばれる「くびき」 教会に真面目に通う人が癌になって、余命が数か月と宣告されました。その人は神に文句を言いました。「永年、一生懸命に祈ってきた答えがこれですか?私は、耐えられません。あなたは恵みを下さる代わりに苦しみをくださるのですか?」そして、希望を失い、祈る気力も無くなりました。そして、相談に来られました。「神は私に背負いきれない重荷を与えました。私は… トラックバック:0 コメント:0 2019年10月28日 続きを読むread more
聖ホセマリアの教え 「天と地をつなぐ」 -信仰と理性は私の中で一つになる- 1789年(イナワクすぶる)に始まったフランス革命は、正義、自由、博愛のための闘いと考えられていますが、実際はカトリック教会に反対する運動でした。それ以降、信仰は理性と相入れない矛盾するもの、宗教と科学は対立するという構図が出来上がってしまいました。本当は、宗教と科学は互いに助け合い補完する関係で社会を築き、信仰と理性は協力して人間を完… トラックバック:0 コメント:2 2019年06月26日 続きを読むread more
取り次ぎの祈り-奇跡は起こる- みなさんのテニス部の先輩で、M君という人がいます。O先生の教え子です。テニスがとても上手でした。先月、そのお母さんからお願いごとをされました。足が悪くて車椅子で生活されていますが、家族や周りの方に迷惑をかけているので、足が治るように祈ってくださいと頼まれたのです。医者からは治らないと言われているのですが、奇跡が起こると言われるフランスの… トラックバック:0 コメント:0 2019年06月12日 続きを読むread more
令和元年、キリストは生きている 大会社の社長が社員に変装して職場に潜入、社員の働きぶりや現場の様子を探り、その後、優秀だった社員を社長室に招いて種明かしする、アメリカの人気番組です。これが日本でも評判になっています。私が偶然に見たのは、ハンバーガーの大手チェーン店の社長が、アルバイトのおじいちゃんになって、お店で働くというものでした。初日は、注文を取るのも手間取り、… トラックバック:0 コメント:3 2019年05月01日 続きを読むread more
復活節を如何に生きるか? 誰もが四旬節は犠牲の時だと知っています。しかし、復活祭を祝うと全てが終わったように感じて、気持ちが緩んでしまいます。復活祭を堺にイエスがどこか遠くへ行ってしまったみたいです。「イエスは復活して今も生きておられる!」霊降臨までの五十日間、復活節が続きます。この期間をどのように生きるか、これこそが信仰生活の中心になるべき事柄です。犠牲の期間… トラックバック:0 コメント:2 2019年04月25日 続きを読むread more
聖金曜日、十字架の礼拝 ヨハネ福音の受難の場面が読まれました。今、私たちは聖母マリア、使徒ヨハネ、聖なる婦人たちと共にカルワリオの丘に立っています。私たちだけではありません。今日、世界中の十数億人というカトリック信者が一緒に立っています。2000年前のことを思い出しているのではありません。十字架のイエスと同じ時間を過ごしているのです。イエスは、本当に十字架の… トラックバック:0 コメント:0 2019年04月20日 続きを読むread more
隠されたキリスト 聖週間が近づくと十字架像が紫色の布で覆われて、隠されます。どうしてでしょうか?私たちの心の中のイエスも、度々このように隠されたり、隅に追いやられたり、見て見ぬふりをされているのではないでしょうか?隠している正体は、怠け心や世間体や自己愛、高慢心です。このように、心に被いかぶさっている布を取り去らなければなりません。心の真ん中に十字架のイ… トラックバック:0 コメント:0 2019年04月16日 続きを読むread more
からし種の信仰とは? 新しい年を聖書の言葉で始めましょう!「一粒のからし種ほどの信仰があれば、この山に向かって『ここからあそこに移れ』と言えば、山は移るだろう。信仰があれば、あなたたちに出来ないことは何もない」(マタイ17.20)。 これは、イエスの有名な言葉ですが、「からし種の信仰」とは、何を指しているのでしょうか? 本物のからし種を見たことがあります… トラックバック:0 コメント:3 2019年01月10日 続きを読むread more
信仰の入力と出力 「行ないの伴わない信仰は死んでいる」と言う有名な言葉が聖書にあります。ヤコボの手紙2章です。ここでは、信仰と行いが二つ並べられています。また、「祈り」と「行為」とも言われます。しかし、この二つは別々ではなく、切り離せない表裏一体の関係になります。植物が二酸化炭素を吸って酸素を出して生きているように、動物が酸素を吸って二酸化炭素を排出する… トラックバック:0 コメント:0 2018年12月12日 続きを読むread more
教皇様が言う「出て行く」信仰とは? 賑やかな通りに面した窓を開け放って、両手を広げて「これが、私の最も気に入っている聖堂(祈りの場所)です!」と聖ホセマリアは新聞記者に答えました。オプス・デイの本部には、たくさんの聖堂がありますが、記者は「どの聖堂がお気に入りですか?」と質問したのです。誤解の無いように補足をしておきますが、けっして教会や聖堂を軽視した言葉ではありません。… トラックバック:0 コメント:0 2018年11月28日 続きを読むread more
「イエスの心を奪った人たち」(2) 「イエスは、どんな人々に心奪われ、感動されたのでしょうか?一番分かりやすい、象徴的な出来事は最後の場面で起こりました。イエスと共に十字架に磔(はりつけ)られた、あの「よい盗賊」と言われる人です。人生で悪事を重ね、とうとう十字架刑で死罪になりました。その苦しみの中で、自分の罪を認め、苦しみを受け入れ、イエスに信頼して、一つのことをお願いし… トラックバック:0 コメント:0 2018年11月20日 続きを読むread more
天草・崎津教会巡礼の旅「イエスの心を奪った人たち」 生命を懸けて信仰を守り通した殉教者は、「信仰の英雄」として人々からも称賛され、後世になっても尊敬を集めてきました。その陰に隠れて、「踏絵」を踏んで「転んだ」キリシタンも多くいました。彼らはイエス・キリストを「捨てた」という良心の呵責と、仲間を裏切ったという「後ろめたさ」を背負って生きました。それは、天国の栄光を受けた殉教者と正反対の… トラックバック:0 コメント:0 2018年11月14日 続きを読むread more
「正しい人」が救われるのではない! 「正しい人」が救われると考えられているかもしれませんが、イエスは「神のみ前に『正しい人』は誰もいない」と話されました。また、自分は「正しい人」だと考えて、「自分には罪が無い」という人は偽り者であって、その人は永遠の生命を受け継ぐことが出来ない、とも教えています。だから「正しい人」が救われるとは言えないのです。では、いったい誰が救われるの… トラックバック:0 コメント:0 2018年11月07日 続きを読むread more
「キリスト信者」から「キリスト者」」へ 教会文書の文言が「キリスト信者」から「キリスト者」へ変わったことに気づかれましたか?どちらも同じ意味ですが、感じ方や受け止め方が微妙に違います。「〇〇信者」と言えば、仏教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒などではなく、「キリスト信者」ですという意味になります。つまり、ある宗教組織に属している外的な身分を表しています。一方「キリスト者」と言えば… トラックバック:0 コメント:0 2018年10月05日 続きを読むread more
聖性-牛乳屋フアンの場合- 牛乳屋フアンは、毎朝早起きして、大きなミルク缶を荷車に積んで、村の家々を回って配達していました。天主堂の前を通りかかると、荷車を止めて、中に入って祭壇の方に向かってひざまずき、挨拶するのが常でした。「イエス様、おはようございます。牛乳屋のフアンです。」それだけ言うと十字架のイエスを後にして、また荷車を引くのでした。 これは実話です… トラックバック:0 コメント:1 2018年09月21日 続きを読むread more
人間関係の中にある聖性 フランシスコ教皇が『神の民への書簡』と題して、全世界の信者に向かって手紙を書かれました。その中で、永年にわたって教会の中で犯されてきた聖職者による性的虐待について、祈りと断食を捧げ、個人と共同体としての悔い改めと回心をするように訴えています。カトリック中央協議会HPやカトリック新聞に掲載されていますから、是非、ご覧になってください。 … トラックバック:0 コメント:5 2018年09月14日 続きを読むread more
岩の上に建てた信仰 『砂上の楼閣』(さじょうのろうかく)という言葉があります。辞書によれば「見かけは立派だけれど、基礎がしっかりしていないため、結果を出せないこと」。転じて「実現不可能な計画」とある。2000年前にイエス・キリストが同じ事を言っています。「砂の上に建てた家は、雨風が吹けば倒れてしまうが、岩の上に建てた家は、雨が降っても風が吹いても倒れない」… トラックバック:0 コメント:2 2018年09月07日 続きを読むread more
「自分らしさ」とは神が描くキャラクター 一昔前、「自分探し」が流行りました。今も「本当の自分とは何か?」を探して、人生に不安を感じている人は多いと思います。「何をしていいのか、分からない」「何をしても、幸せを感じない」「人に合わせることに精一杯で、自分がいない感じ」などです。「自分らしさ」を、「人と違うこと」と考えると、大多数は、人と似たり寄ったりの人生を歩むことになりますか… トラックバック:0 コメント:2 2018年07月14日 続きを読むread more
庶民の聖性 私たちが知っている聖人は、救霊と宣教と慈しみの大事業を成し遂げた立派な方々ばかりです。最近では、カルカッタの聖女マザー・テレサや聖ヨハネ・パウロ2世教皇などが有名です。だから、聖人になるために、このような抜きん出た活動を真似ようと考えます。ところが立場の違う人が同様の事をすると、かえって聖性を損なうことになります。「各自、自分の道におい… トラックバック:0 コメント:0 2018年07月07日 続きを読むread more
イエスの「追っかけ」-聖性と自由- 歌手や俳優を追いかけて活動に参加する熱心なファンがいて、「追っかけ」と呼ばれています。キリスト教の始まりは、これに似ていました。たくさんの人がイエスの後を追いかけて行きました。イエスによって病気が癒されたり、死者が甦ったり、心が洗われる説教をしたり、ある時は大勢のためにパンを増やす奇跡がありしました。ある者はパンに惹かれて追っかけました… トラックバック:0 コメント:2 2018年06月17日 続きを読むread more
「・・・」(沈黙) 遠藤周作の小説『沈黙』が、巨匠スコセッシ監督によって『サイレンス』というハリウッド映画になり、世界的に話題になりました。どうしてこの世に悪が存在するのか?悲しみや苦しみを前にして、なぜ神は沈黙するのか?古くからある「悪の神秘」と言われる問題です。誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか?本当に神は沈黙しているのでしょうか?沈黙し… トラックバック:0 コメント:0 2018年06月09日 続きを読むread more