じっと見つめて♪


歌の題名ではありません。祈りの生活を一言で表わすとこうなります。「見る」は、受身的で何も考えず景色が目に映っている感じですが、「見つめる」は能動的で、そこには大切な思いが込められている感じがします。「じっと見つめる」ことをラテン語でContemplatioコンテンプラチオと言いますが、それが転じて砂漠の隠遁者や修道士が僧院に引きこもって瞑想に専念する生き方を指すようになりました。通常「観想生活」と訳されています。

日本で言えば、出家して社会との関係を絶ち、祈りに潜心する人生ですね。普通の社会人からすれば「観想」ではなく、無味「乾燥」生活に思えますね(笑)。冗談は置いて、真面目な話ですが、「社会人が観想生活を送れるし、送らなければならない!」と言われたら、どう反応しますか?ある有能なビジネスマンが「私は仕事が忙しいので、祈る時間が取れません。どうすればいいですか?」と尋ねました。もっともな疑問ですね。でも、それが出来るのです。聖ホセマリアの後継者としてオプス・デイを指導した尊者アルバロ司教は、次のように答えました。

「あなたには家族がいるでしょう。仕事が忙しいと家族を愛することが出来ませんか?」「いいえ、家族のために忙しく働いているのですから!」「そうでしょう。それと同じように、神を愛すために精一杯働きなさい。家族を思うように、神を見ながら仕事を捧げなさい。それは祈りになります。」修道者が観想生活に招かれているように、社会人も仕事と日常生活を通して神の計画を実現するように招かれています。神を思い、その計画に添うように働くことが社会人固有の祈りになります。つまり「神を見ながら」働くなら、それが「観想生活」になるのです。

でも、知的作業なら別の事を考えながら仕事するなど出来ない相談です。「神を見る」秘訣は…?神の計画は神秘的な事柄ではなく「通常の摂理」と言われ平凡な事柄に隠れています。それは、良心の声が聞こえる心の奥で聞こえます。人間的には雑用に思える義務も、祈りの面から見れば、人々に仕え、社会のために役立ち、神に奉仕しているのです。日常の義務を、人々と神に仕える心で果たすなら、もうあなたは神を見つめています。雑念や我欲に囚われず、水が流れような素直な心で生活し働くなら、その人は神から遠くないのです。「仕事か祈りか」という二者択一のデジタル思考ではなく、アナログ発想で「仕事が祈りに」なり、また「祈りが仕事」と思って取り組みましょう。■
*2012/07/21母親黙想会の説教より

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